和歌山・雑賀崎の生ける廃墟ホテル「七津別館 七洋園」に泊まったら想像以上の昭和空間だった

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和歌山市 雑賀崎

夜間は全消灯され真っ暗でとても立ち入る事すら出来ない三階部分。この区画はラウンジか何かでしょうか、ビニールカバーが被さったままのビリヤード台が置かれ、埃まみれのソファやバーのカウンターの残骸なんかが見られる。

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バーカウンターの裏手を覗かせてもらった。かなり古い年式の業務用冷蔵庫、三ツ矢サイダーとアサヒビールのロゴが側面に描かれているが、そのロゴの古さから見てもやはり昭和40年代のものと思われる。

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その奥にある厨房。かつてはここでも立派な料理が作られていたのであろう、配膳用の小型エレベーターまで据え付けられていた。しかしこれらの器具がいつ頃から使われなくなったのか、今ひとつ時系列が読めない。昔ここに泊まられた事のある方からのタレコミをお待ちしています。

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そして三階部分のハイライトは中央部分にデデーンと現れる自慢の大広間。実際には72畳分の広さのようだがかなりキャパシティはあったようだ。最盛期にはここで数百人単位で大宴会が催されていたのだろうな。今見ると畳もブヨブヨに膨れ上がっていて見る影もない。

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大広間後部の物置スペースは扉が殆ど外されて中身の座布団やら掛け布団敷布団諸々の備品が露わになっている。

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三階の共同便所は入口が開け放たれたまま、足元のスリッパの周りに経年劣化で天井からこぼれ落ちてきた何らかの建材の欠片が散乱していてスリッパの上にも容赦なく掛かっている。何年放置すればこの状態になるんだろう。

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その共同便所の先にぽつんとある無施錠の扉から外に出る事ができる。冒頭の番所庭園から見えた建物の姿はちょうどこの辺が見えていた訳だ。

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廃墟探索は法的に建造物侵入云々といったリスクを孕む行為でもあるので良い子の皆様にはとてもお勧めできない趣味であるが、七洋園はそんな廃墟探索のスリルを合法的に楽しめる稀有な宿泊施設となっている。商売を辞めてしまわれる前に一度は泊まりに来ましょう。

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最後に土産物なのか私物なのか分からんものが雑然と積まれている一階フロントへ。「雑賀崎みやげ」の看板も古いまま。雑賀崎みやげって何だ、海産物以外に思いつかない。一応有名なのは鱧漁なんですけども。オワコンぶりが際立つ旅館だが一応観光客向けに和歌山マリーナシティだとかの優待券や各種パンフレットなんかも置いている。

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でもやはり一番気になるのがこの「PUNCHでDATE」のゲーム筐体であろう。これは70~80年代に流行った大阪朝日放送のTV番組「プロポーズ大作戦」を思いっきりインスパイアしたゲームであろう。関西人ならキダ・タロー作曲の例のテーマソングが勝手に脳内再生されそうな展開だ…

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「あのこ ねらって ラブチャンス!」とか「デートボタン」とか書かれているあたりがズッコケそうになるんですが、司会の横山やすし・西川きよしに似たキャラクターは筐体のどこにも描かれていませんでした。それにしても1ゲーム20円って、駄菓子屋価格かよ…

この筐体の写真を撮らせてもらったところ、ご主人が一言「最近のお客さん、みんな写真ばっかり撮っていきますねん」

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最後に少しテンションのおかしかったご主人にお話を伺ったところ、この七洋園が開業したのは昭和40(1965)年頃だったかなという事であった。まあ建物のくたびれ具合から考えればそんなものか。

なお、この建物には地下1階も存在している。全くの闇に包まれて何があるのか不明なのだが、何か聞くにしてもご主人も会話がしっかり通じる感じかと言うとそうでもなく、時折壊れたテープレコーダーのように「ありがとうございました、ありがとうございました、ありがとうございました」と繰り返すばかりで会話が一向に進まない。もう少し元気で居て欲しいですね!

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そもそも最初に来る時点でこうした「レトロを楽しむ」宿だと分かってきたならば、エンターテイメント的には申し分のない魅力を持った旅館である事は十二分に分かって頂けた事であろう。人々の記憶から忘れ去られそうになった奥和歌浦・雑賀崎並びに「七洋園」がこれ以上寂れる事のないよう、ささやかながら見守っていきたい所存です。

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<おまけ>

粗品としてもらったお手拭きタオルの外袋には「空中温泉観光旅館 七洋園」に加えて「料理旅館 七津」の名称も。和歌山市ぶらくり丁住吉橋通りにここの本店となる旅館が別にあったという事らしい。今は現存していないようだ。


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