2012年豪雨被害の京都市北区「衣笠開キ町」砂防ダム内集落の様子を見に行った

京都市

当サイトで以前紹介した京都市北区衣笠開キ町にある謎の砂防ダム内集落。一旦豪雨でもあればアウトだろこれと思っていたら7月中旬の大雨で実際に紙屋川が氾濫してあの集落を襲ってエライ目に遭ったというのだ。

大雨:京都で1時間90ミリ 床上浸水や土砂崩れ多数

約20戸が床上浸水…ですか…そりゃ砂防ダムの中に家建てたらそうなるわな、と現場を見て率直にそう思った我々取材班だが、やはり被害状況が気になる、この目で見なければならない…と言う訳で今再びの京都でございます。千本北大路交差点の北側、佛教大学の裏手の一画、見た目には以前と全然変わっていない。

しかしひと度砂防ダムの中に目を移すとそこには明らかに豪雨によって荒れ狂った川が運びだした泥やら何やらで元の地形が原型を留めていない。こりゃ想像以上に酷いな。

周囲で高みの見物ばかりしていてもしょうがないので前回と同じく砂防ダムの中にある集落まで降りていく事にする。集落に続く数少ないアプローチ道路が民家の間のブロック塀に挟まれた幅1メートル足らずの路地。二度目だけど分かりづらくてうっかり素通りしそうになった。

相変わらずせせこましい入り口だけど佛教大学裏側からの道はここ以外に皆無だからなあ…前回訪問時にあった怪しげな葉っぱのマークなどもそのまま残されている。治外法権的な香りは変わらず漂ってくるがそれ以上に蒸し熱い。京都盆地の夏は異常過ぎる。


さて、視界は開けて砂防ダム内集落の屋根が見えて参りました。この部分は全く前回と変わっていない。最悪でも被害状況は「床上浸水」なので家が流されてしまったりという事はなさそうだ。なぜかゴルフボールを拾い集めている手前の民家はノーダメージ。

しかし一気に砂防ダムの底まで下っていくとひと目でエライ目に遭っている事が分かる。あたり一面泥の地層が出来ていて、とりあえず人が通る部分の泥だけを応急的に取り除いた状態になっていた。

豪雨被害のニュースを聞きつけてから一週間くらいの時期に訪問したのだが、まだまだ手付かずの部分も多かった。泥の層がかなり分厚い。砂防ダム内集落は高齢世帯も多いので自力で片付けるのは難しい状況だろう。

ところが豪雨災害のニュースを聞いた地元京都の学生が衣笠開キ町の被災家屋をなんとかしようとFacebookで呼びかけあってドブさらい等のボランティア活動をしているらしい。まあなんとも健気な学生達である。

ボランティアの活動もあってか、泥の堆積が酷い以外はあらかた片付けられている印象だった。次は行政が市営住宅の斡旋をする番でしょうかね。

床上浸水した家屋の状況。ステンレス製浴槽が横倒しになっているのが見える。部屋の奥を見るとそのまま家財道具がグッチャグチャになっていた。

別の床上浸水家屋。床板や畳が全部ごっそり取り外されていた。またここに人が住むのだろうか?

長屋が向かい合って連なる一帯。ボランティア隊のFacebookページに災害翌日の写真が上がっているのを見た限りではこの辺まで泥水が流れこんできたものと思われる。

さらに砂防ダム内を行き来する歩行者用鉄橋が酷い事になっていた。豪雨で氾濫した紙屋川が大量の流木やら何やらを集落に流し込んできた勢いで手すりが折れ曲がって片側がごっそりもぎ取られていたのだ。東日本大震災の大津波もそうだったが水の力は恐ろしいものだ。

手すりが片側だけになってしまった橋。「キケン」の三文字が赤いテープで貼り付けられていた。ここを渡るのは確かに危険である。橋はまた架け直す事になるのだろうな。

集落から紙屋川の上流部分を見る。氾濫した川が暴れ回った跡がくっきり残っている。近年頻発するゲリラ豪雨がまさかこの土地を襲うとは我々取材班も想像していなかったが、やっぱり砂防ダムの中に家は建てない方がいいと思いますよ。

最後に最寄りの朝鮮学校前から集落を一望する。外周部に面した家屋はそれほどダメージを受けていないようだ。今回の豪雨被害をきっかけに行政が動いて砂防ダム内集落が全面的に立ち退きをするような流れになる事は…多分無さそうだ。

<追記>2014年の広島での豪雨災害を契機に、砂防ダム内集落の立ち退き対策を本格化する旨が報道されています。早いうちに無くなる可能性が高いですね。
京都市の砂防ダム内に集落 60年にわたり“不法占拠” 京都府、退去求めて本格対策へ


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