京都市北区衣笠開キ町にある砂防ダムの中に作られた謎の不法占拠集落に迫る

京都市北区、千本北大路交差点の近くまでやってきた。金閣寺から1キロほど東側にある地点だ。ただでさえ公共交通網がグダグダな京都の中でもかなり奥の方にあるので、基本的にバスで来る事になるがこれがまた面倒臭い。

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実はこの周辺に平成日本ではにわかに信じられない「砂防ダムの中の集落」というのが存在していると聞いて、かねてから見てみたいと思っていたのだ。関西には戦後のドサクサで出来たバラック村が今でも数多く残っているが、砂防ダム内に家を建てちゃったという例は聞いた事がない。

千本北大路交差点を北側に歩いていくと佛教大学のキャンパスがある。この真裏が該当地点にあたるようだ。

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佛教大学の脇から路地に入ると、そこは京都の外れにある「閑静な住宅街」でしかない。地名で言う所の京都市北区衣笠開キ町、鷹峯木ノ畑町の境目あたりになる。周囲には古い一軒家に混じって市営住宅なども多い。

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路地を突き抜けると砂防ダムの縁に沿って民家が連なっている場所へ出る。ここまでは特に代わり映えのない普通の住宅地だ。

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だが途中から景色が開けて、砂防ダムを囲んだ山間に家々が並んでいる風景が見えてくる。谷底に流れるのは天神川の上流部となる紙屋川。

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視界が開けた崖っぷちの上に立つと、崖下一帯にてんでんばらばらの方向に家が建っているのが見られる。しかもどの家も結構古びていて建て増ししてあったり、随分フリーダムな状況。

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さらに視点を変えて見ると、明らかに周囲とは隔絶された谷底に家がずらりと並んでいるのが分かるはずだ。中央を流れる紙屋川には住民が架けたと思しき鉄製の橋も見える。

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雪のせいで見えづらいが崖下に沿って犬小屋だったり家庭菜園が好き勝手に置かれている。不安定な地盤に対して器用に足場が築かれていて物置スペースが作られていた。

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崖下の民家は寒波による大雪をまともに被っていた。屋根はトタン葺きだろうか。京都の夏暑く冬寒い盆地の気候は、どうも好きになれない。

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崖上から集落を見ていくと上流の突き当たりからようやく紙屋川の水面が見えてくる。結構な高さがある。しかしよく見ると対岸の斜面にまで廃屋と化した掘っ立て小屋がいくつか確認出来る。

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改めて紙屋川上流側から砂防ダム下の集落を眺める。壮大な景色だ。

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この付近の街並みを航空写真で上から見ると明らかに異様さが伝わる。中央に紙屋川、その両側は家庭菜園、砂防ダムの縁に沿って民家が並び、隔絶された孤立集落のような様相を呈しているのだ。

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崖上に沿って反時計回りに歩いて行くと、砂防ダム集落のすぐそばには何とも分かりやすいランドマークがあった。見た目学校なんですが…

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それも普通の学校ではなく「京都朝鮮第三初級学校」。校名がハングルで書かれたプレートがある。砂防ダムの中の集落に何か関係があるものと思われる。

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路地に沿って回りこむと朝鮮学校の3階建ての校舎が現れる。観光客もろくに近寄らぬ京都の奥地でも目にする事の出来るリアルパッチギワールド。古都の歴史は表も裏も実に奥が深い。

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