限界マイホーム!北摂のマチュピチュ住宅地「茨木台ニュータウン」はとんでもない山奥にあった!

亀岡市

かつて高度経済成長や一億層中流意識を経て日本人の誰もが夢を見ていたであろう「マイホーム」の夢。その夢は一度昭和末期のバブル経済によって庶民の手から遠ざかってしまうのだが、その時代に、大阪郊外にも高騰する土地の問題を鑑みて、思いっきり遠方の山奥を削り造成された、小規模なニュータウンがいくつか存在する。

大阪近郊、千里、箕面や川西、または神戸北部、そして生駒や奈良、もしくは泉南、南河内、はては名張といった場所に、山を切り崩したニュータウンは数あれど、電車も高規格道路も通らぬ茨木市北部の山中にこんな名前のニュータウンがあるという事をご存知の方は少ないかも知れない。

その名は「茨木台ニュータウン」。

場所は大阪府茨木市の最北端。JR茨木駅からは直線距離でも優に15キロ以上は離れている。というか、茨木台と名乗っていながら住所は「京都府亀岡市東別院町鎌倉見立」。亀岡なのだ。航空写真で現地の状況を見れば、いかに滑稽なニュータウンなのかが一目で分かるだろう。「茨木台」とは一体どのようなニュータウンなのか。はるばる現地まで訪ねてきた。

茨木市街からバスに乗っておよそ45分。都会の喧騒とはまるで縁が無い茨木市北部の「見山」と呼ばれる地区。「あのニュータウン」を除けば、一切開発が加えられておらず、他には何も無い「純農村地区」。

同じ茨木市とは到底思えないような山奥の土地にはコスモスと彼岸花が咲き乱れ、秋の訪れを告げていた。

「de愛ほっこり・見山の郷」という道の駅っぽい施設があり、しばしスローなひと時を求めて遊びにやってくる来客で賑わっている。問題のニュータウン「茨木台」は、ここからまだ峠道を登った奥地にある。

さらに勾配とカーブのきつい道を登りきると、そこには「銭原」という茨木市最北端の集落がある。「茨木市青少年野外活動センター」へ続く山道へ分岐し、さらに1キロ程進むと…

2車線の道路に突如立ち塞がるガードパイプ!!「峠攻め」よろしく勢い良く坂を登るとこれに突っ込む事間違いなしである。

一体どうやって先に進めばいいのか悩むが、左脇の隙間から抜けるのが正解。車幅ぎりぎりなので左側の側溝にタイヤをはめてしまわない様に恐る恐る車を通すのだ。しかし地元民らしき人の車は減速なしでそのまま出入りしてるのだから、慣れというのは恐ろしい。


そのまま正面の道を登れば「茨木市青少年野外活動センター」だが、問題の「茨木台」はこの右側の看板に従って行くことになる。

まさに「酷道」。R421石榑峠(三重県・滋賀県境)顔負けのお邪魔なコンクリートブロックがここでまた行く手を遮るのだ。さらに右折する形で進入するためテクニックを要する。この先に本当にニュータウンなんてあるのか??

その先、自動車のすれ違いも難しい狭隘な山道を進んでいくと、茨木台ニュータウンは突然その姿を現す。

標高およそ500メートル。隔絶された山奥に孤立する幻のニュータウン。日本にも古代の空中都市・マチュピチュが現存していたなんて..と言いたくなる光景。一体どういう場所なんだ、ここは。

ここにはイオンや平和堂なんて気の利いた店などもちろん一切なく、チェーン系コンビニもあるわけがない。唯一ニュータウンにあるのは自称「コンビニエンスストアー」の高田屋さん。店先にちゃんと「茨木台ニュータウン」の看板がついてますよね。我々が訪れた時は定休日のようで店が開いていなかった。それ以前に、営業しているのかここ?

だから、ちょっと近所のローソンにアイスクリーム買いに行ってくるわ、という次元の話ではない。買って戻るまでの間に間違いなく溶けるだろう。なにせ茨木市街地に出るまで1時間はかかる。というか、茨木台ニュータウンは亀岡市なのだが、亀岡市街地に出るにもこれまた1時間かかる。時空の狭間みたいな場所だな。

それよりも驚いてしまうのがニュータウンの立地条件である。この写真では分かりづらいが、恐ろしい程の急勾配の斜面にへばりつくように家屋が並んでいるのだ。ざっと見て200軒くらいだろうか。

住宅街の中だけ見ると何の変哲もないのだが、外から見ればまさに陸の孤島。雪の降った日などは家に辿りつくこともままならないのではなかろうか。

そんな場所に無理矢理ニュータウンを作っているものだから、新規で住民になる者にはそれなりのコストを覚悟の上で入居する必要がある。山の上でのライフラインの供給が大変なのは想像に難くない。水道は特に金がかかる。水道施設分担金(開栓料)に新築で50万、中古で25万円の負担の他、色々とお金がかかる。

この共同洗車場も住民のための貴重な水である。多分雨水や山の水だと思うが。

何で好き好んでこんな場所にニュータウンを作って、そこに人が住む事になったのだろうか。この茨木台の存在も、バブルの負の遺産の一つなのである。バブル期に土地高騰を受けてマイホームに手が届かなくなったサラリーマン世帯をターゲットにとんでもない山奥の土地を造成し、昭和末期、民間の不動産業者が売り出したものである。

ちらほら空き家と化した一軒家が見られるのも至極当然の話である。

ここを最初に購入してしまった人達は、まさかこの場所が発展して将来ケーブルカーなんぞが通るとでも思って、土地を購入したのだろうか。交通不便だと常々思っていた「箕面森町」や「彩都」が余裕のよっちゃんに見えてしまう。

待ち構えていたのは、半永久的に続くだろう大阪市街へ片道2時間も掛かってしまうという悲惨な通勤地獄だった。ニュータウンにはさっきのコンクリートブロックのせいで直接バスが乗り入れていない。道路を整備する動きすらない。まさに茨木台住民は「見捨てられた民」。

茨木台の住民は先ほどの山道を2キロも下って、最寄の「銭原」バス停から阪急バスで1時間掛けて茨木駅へと向かうことになる。銭原から出ているバス自体も、阪急バスの運行ダイヤを見る限り1日7、8本しか出ていないようだ。果たしてどのような通勤風景なのか。見てみたい。

町内の掲示板は「京都府亀岡市東別院町鎌倉見立」。そもそも茨木でもないのに茨木台と名乗っている時点で、ある意味詐欺である(笑)

亀岡に抜けるまでも、この果てしない峠道を延々と下っていかなければならないのだ。

しかし考え方を変えると、中古住宅は500万円台から買えるし(坪単価8万円!)、自給自足をする覚悟があって、在宅ワークか何かで食える手段があって、家から1週間くらい出られなくても平気という人にとっては、選択の余地があるマイホームかも知れない(笑)

他にも豊能町希望ヶ丘にある、通称「絶望ヶ丘」こと「北大阪ネオポリス」、もう一つ亀岡市側にある「北摂ローズタウン」など、まさにバブルの負の遺産として山中に放置されたままの「限界ニュータウン」。その場所で、今もマイホームの夢を得た人が暮らしを営んでいる。

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