【高槻市】再開発でタワマン乱立「JR高槻駅北口」と昭和なアーケード街・芥川商店街

阪神間では山の手側から阪急、JR、阪神の順に高級住宅街から下町へと下っていくのだが、これが京都と大阪の間を走る阪急とJRを見ると、JRの方が山手側を走っているために、高槻市の場合は「JR線の北側がお上品エリア」という扱いになってしまう。

JR高槻駅北口に出る。市内唯一の新快速停車駅でもあり、高槻市北部の山の手側の優良住宅地を走る高槻市営バスは全てこの北口から発着している。あまりに利用者が多いせいで、新快速電車が来た時には狭苦しいホームから改札までにエスカレーター待ちの凄まじい混雑ができるのが長年の日常風景だったが、今では新快速用のホームを新設するなどの改良工事が行われている。

西武高槻店が「高槻阪急」に

高槻駅北口には高槻駅利用者にはお馴染み過ぎる「西武高槻店」の建物もある。高槻がおおよそ「大阪の中で大阪らしくない街だ」という評判を生み出しているのは、この百貨店があったからなのかも知れない。東京の新宿と池袋から埼玉のビミョーな田舎住宅地を結ぶ大手私鉄「西武鉄道」もその創業者である堤一族は滋賀県にゆかりのある近江商人。そんな西武百貨店の関西進出一号店がこの高槻店(オーロラモール)である。

昭和49(1974)年の開店以来、40年以上の歴史を歩んだ関西ではレアな西武百貨店の店舗も2017年には阪急阪神東宝グループ(H2Oリテイリング)に買収され、2018年にはパ・リーグ優勝を収めた「埼玉西武ライオンズ」を祝う西武百貨店ではお馴染みの“優勝フェア”もとうとう開催対象外に。2019年10月1日には屋号も「高槻阪急」に代わり、八尾店の閉店に続き大阪府から西武百貨店は完全に姿を消すことになる。そうなれば、最後に残る西武百貨店の関西店舗は堤一族の出身、滋賀県にある大津店のみだ。

タワマン乱立中の高槻駅北口。もはや“関西の武蔵小杉”と化す

駅北口の再開発は南口に遅れること30年、2005年3月に完成している。それまではごちゃごちゃした木造家屋が密集していた駅前一等地が立派なロータリーと2棟のタワマンと一体化した複合ビルが立ち並ぶ近代的な駅前風景に変身している。芥川町の地名から「アクトアモーレ」なんて名前が付いとりますけれども。

2004年完成の30階建てと28階建ての2棟のタワマン「ローレルスクエア高槻」、駅前一等地のこれ以上ない立地の物件である。JR高槻駅北口では旧ユアサ工場跡地が再開発され、さらに新しくタワマンが3棟も建っていて「乱立」の気配すらある。もはや“関西の武蔵小杉”状態である。

アクトアモーレの核テナントは滋賀県発祥のスーパー「平和堂」が展開するモール「アル・プラザ高槻」。抜け目ない近江商人企業が関西で幅を利かせる構図がここにも。シネコンまで入っていてイマドキ感に溢れているが、「グランツリー武蔵小杉」のようなキラキラ感には乏しい。

芥川商店街というレトロなアーケード街

一方でアクトアモーレの足元に連なるアーケード街「芥川商店街」は大昔からある昭和な風情満載の商店街だが、再開発で道の片側がロータリーや商業施設になってしまった関係でアーケードが一部削られてしまっている。

アーケードが削られた部分は「アクトモール」と名称が変わっているが、とりわけ目を引くような店舗構成でもなく兎角印象が薄い。首都圏にはそこかしこに店を構える輸入食品店「カルディコーヒーファーム」の店舗まである。それよりも、もう少し先の方に進んでいくと…

再開発の手が一切入っていない、昭和なまんまのアーケード街が生き残っていた。高槻市でアーケード街があるのはこの芥川商店街と高槻センター街の二ヶ所だけである。

こちら側も昔からの個人商店が変わり映えもなくやってますね程度の印象しかなく、結局素通りするしかない展開に。ひっきりなしにチャリンコに乗ったままの通勤民が行き交うが、特に自転車に乗ったままの通行を禁止している旨の警告文は見当たらない。

同じアーケード街でももっぱら栄えているのは「高槻センター街」一択である。JR高槻駅の北側住民はチャリンコではなく市バスや自家用車で移動する住民が多いせいか、当地への買い物需要もないのだろう。

芥川町・西国街道沿いの古い町並み

全長200メートルほどのアーケード街を抜けた先には西国街道に沿った古い町並みが連なるレトロで風情のある光景が現れ、高槻という街の奥深さを実感できる事請け合いである。

かつては「芥川宿」という宿場町でもあった、そんな西国街道沿いに「八百鶴本店」という風流な佇まいの老舗の寿司屋があるんですけれども…

出前受付の電話番号の語呂が「ハヨ ニギレニギレ」って…まあなんとも大阪っぽいノリなんですが、近所のJT(日本たばこ産業)医薬総合研究所の職員が出前でも頼んで食ってそうな寿司ですね。こんなおっとりとした住宅街に囲まれた「JTの研究施設」の存在には未だに賛否両論ある。

そこから少し離れて老舗感漂う街の酒屋「西田本店」の建物があり…

その脇道に入っていくと、大昔から何も変わっていないかのような板張りの家々を縫う路地裏風景が姿を見せる。

特にこの界隈は昔からの家並みが残されていて、高槻駅からも近いわりにはあまり見向きもされない一画である。

自動車がおろかチャリンコの通行も憚られるほど狭い路地もある。その家並みの向こうから再開発されて生まれたタワマンやら平和堂の鳩の看板がちらりと見え、街の新旧の対比を感じられる。

そんな住宅地にもあっちゃこっちゃに辻元清美センセイのポスターが掲げられたお宅が見かけられる。大阪10区(高槻市・島本町)に盤石な支持基盤を持つ同議員の政治力を見せつけられる高槻の路地裏風景。“社民党のジャンヌ・ダルク”の異名もあったはずだがいつの間にか民主党(その後は立憲民主党)にお乗り換えなさっている。

日本赤軍の女帝・重信房子が捕まり、JT職員が放射性物質をぶちまける街

革命の季節 パレスチナの戦場から

2000年12月、高槻市紫町にあるJT医薬総合研究所に勤務していた職員(当時40歳)が「社会に嫌気が差した」との理由で高槻駅コンコースで放射性物質「ヨウ素125」をバラ撒くというバイオテロ事件が起きている。日本赤軍の重信房子が高槻市内にあった「たかつき京都ホテル」で身柄を確保された時期と被っていたせいもあって、物騒な街だと騒がれた記憶がある。北摂が大阪の中でまとも、とはよく言われるが、高槻もあれこれと地雷要素多すぎませんかね。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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