ボロボロのアーケード、レトロ喫茶の残骸、もはや絶滅寸前か…出屋敷中通り商店街

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尼崎市 出屋敷

この工業都市尼崎市が最も栄えていたのは、高度経済成長期真っ只中の昭和45(1970)年頃の事。当時の人口は55万人を超えていた。出屋敷中通りはその頃に繁盛していたものと考えられる。現在の尼崎市はそれから10万人ごっそり減って、人口45万人。

尼崎市 出屋敷

商店街の終端部にはちょっとした赤提灯横丁の成れの果てらしい雰囲気抜群なバラック酒場も若干見られる。この辺、夜は開いてるんでしょうかね…

尼崎市 出屋敷

アーケードが取り払われて青空の下に晒されたかつての商店街の建物群。夕張のようなゴーストタウンかと見紛うような光景になっている。生活感もなく、通り過ぎる人の姿もまばらである。これも工業都市の栄枯盛衰ですかね。

尼崎市 出屋敷

出屋敷中通り商店街の終端部に出ると目の前には阪神電車の高架が走る。線路沿いに道なりに進めば徒歩10分少しで隣の尼崎駅に行けるし、北に伸びる道をまっすぐ進めば、あの「かんなみ新地」と交差する。割とコアな場所なんですね。

尼崎市 出屋敷

で、そんな素敵な廃墟商店街の出口にこれまたレトロ過ぎて涙がちょちょ切れるような佇まいの「大衆喫茶玉一」の建物が残っている。せめてここだけでも現役でいて欲しかったのだが、容赦無く廃業しておられました。

尼崎市 出屋敷

「大衆喫茶」のシャレオツモダンなフォントがそそられる。わざわざ「大衆」と頭に付くくらいのものなので、喫茶がまだ大衆のものではなかった頃の感覚が残っていたのかも知れない。戦後間近の創業なんだろうか…

尼崎市 出屋敷

廃業していたのは明らかなのだが、建物の主はまだ暮らしていたようで店のシャッターは一部開かれた状態で置いてあった。「大衆喫茶玉一」について気になって調べてみたが、今から13年前、2001年に廃業されたという情報を得た。

尼崎市 出屋敷

ちなみに「喫茶玉一」という屋号で調べると、大阪市内を中心に同じ屋号を掲げる喫茶店が何軒か出てくる。かつてはもしかしたらあの「アジアコーヒ」のようなゆるーいチェーン系の喫茶店の一つだったのかも知れん。

尼崎市 出屋敷

一周回って出屋敷駅に再度戻る。もう一つ隣の駅は尼崎競艇場がある尼崎センタープール前駅。阪神工業地帯に生きるギャンブラーでタイガースなオッサン軍団御用達の下町沿線風景が連なる。

尼崎市 出屋敷

駅前は随分寂しくなったが、阪神出屋敷駅の方はというと、何やら小奇麗な駅前飲食街「出屋敷アマトラ横丁」なんてものが出来上がっていた。

尼崎市 出屋敷

アマトラて何やねん…と思ったら、タイガースカラーのトラのキャラクター(猫ではない)が鎮座しておりました。東京みたいにエキナカスイーツ化するような兆しは皆無で、アマトラ横丁の中には100均ショップとかお好み焼き屋とか韓国料理屋とか、店舗構成も下町バリバリでした。

尼崎市 出屋敷

出来たばかりのアマトラ横丁はさておき、日が暮れると、かつて栄えていたであろう出屋敷商店街は真っ暗闇。灯りを辛うじて灯しているのはこうした安呑み酒場くらいで、実に寂しい限り。限界集落って田舎にばかりあるものじゃないですよ。尼崎の下町の片隅にも確実にある。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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