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酒処女どころ・伏見区「中書島」の遊郭跡を訪ねる (全2ページ)

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京都伏見の中書島というのは秀吉が建てた伏見桃山城の城下町で、坂本龍馬が襲撃された「寺田屋事件」の舞台、それに月桂冠、黄桜といった清酒メーカーもある酒どころでベタな京都の観光地になっている訳だが、また遊郭もあった土地。

有名どころなのでこれまで足が向かなかったが、八幡市の橋本遊郭を見たのにこっちを見ない訳にもいくまい。探索の始点は京阪中書島駅から。おけいはん利用者にとっては京阪本線から宇治線への乗り継ぎ駅にもなっていて、特急以下全ての種別の列車が停まる。

中書島駅前にはいかにも観光地的な案内板があり「幕末のまち伏見」「名酒のまち伏見」をアピール。坂本龍馬の等身大にしては小さめな看板と酒樽が積まれている。

まず駅前から北へ伸びる通りを進む事になる。観光地や遊郭跡も全て北側一帯に集まっていて駅前はさほど人通りも多くない。観光客はみんないかにもな観光バスで乗り合わせてくる事が多いみたいだし。

微妙な駅前風景から遠ざかるにつれ盛り場の色彩が濃くなってくる。厳密には遊郭があったのはこの先の西柳町、東柳町にまたがる一帯なのだが、するとこのへんはさしずめ色街の緩衝地帯であろうか。

既に駅前にいる時点で住所が「伏見区南新地」といういわくありげな地名となっている。この辺から遊郭跡の名残りは始まっていて、粗末な造りのスナックの建物が見られたりする。

そこで右手にデーンと現れるレトロでモダンな佇まいの銭湯。見た目の特徴にも感じられるが昭和6(1931)年築というので相当なものだ。その名も直球で「新地湯」。分り易すぎる。

南新地は昭和初期に中書島の南側、濠川の半分を埋め立てて作られた歓楽街で、新地湯はその頃から開業していたものと思われる。遊郭の客や遊女も足繁く通っていたであろう銭湯は今なお現役。煙突にも新地湯の文字が刻まれている。

中書島駅から遠くなると商店街らしくなってくる逆転現象。それでも煤けた酒場がメインコンテンツなのですが。坂本龍馬が泊まって襲撃された有名な寺田屋とかはもっと先にある。

新地湯から脇に伸びる路地に足を踏み入れると未舗装の砂利敷の住宅街が現れる。なんで未舗装なのか不思議でしょうがない。私有地か何かだろうかと思ったがその割には普通に住宅街だしスナックの店舗まである。

路地を折れ曲がると「近畿荘」と看板を掲げる一軒の旅館が。その向こうには京阪電車の線路が走っている。駅からこれだけ近いのにやたら場末感が強い。

住宅街を抜けるとその先には朱塗りの土塀と中国風の竜宮門を構えた何だか色っぽい佇まいの「長建寺」がある。旧中書島遊郭の一角にあり遊女の信仰があった寺だが、ご本尊が弁財天なのは全国的にも珍しい。でも大抵遊郭に弁天様はセットになってますわな。

長建寺の前には濠川が流れている。川に架かる橋は「弁天橋」。ここでかつての廓の内と外が隔たっていたのだろう。

濠川の水面には十石舟が浮かぶ風流な光景。かつて江戸時代に伏見の名酒や人や物資を運んだ十石舟が再現され観光用に運航している。伏見桃山城築城当時、中書島は地名の通り本当に宇治川の中州に浮かぶ島だった。伏見桃山城が廃城した後も十石舟や三十石船が往来する伏見の港町として栄えた中書島に遊郭が出来たのは元禄年間の事である。

弁天橋を渡った先には伏見の名酒を堪能できる観光ゾーン。月桂冠や黄桜酒造といった蔵造りの街並みが立ち並んでいる。遊郭もあれば酒処もあり、酒と女には事欠かない伏見の街といった所か。はいはい、綺麗どころになってしまったので元の場所に引き返しましょうね。

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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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