【アパッチ族】戦後の残滓・毛馬桜之宮公園沿いの不法占拠バラック村「古鉄街」在りし日の姿

<2ページ目を読む

毛馬桜之宮公園の敷地に立ち並ぶ異様なバラック建築群を眺めながら桜ノ宮駅から大川沿いに南側まで抜けてきた。公園側からバラック建築を見て来た訳だが全て建物の裏側にあたる。正面口は土手上の車道に面しているので、今度はそちら側から建物を一望してみることにしよう。

バラック家屋の端っこに土手上に登れる階段がある。その途中には不法投棄を罰するとの警告文が書かれた看板が。毎度ながら全くの無意味で何の効果ももたらさない看板である。

土手沿いの不法占拠も酷いが不法投棄も酷い。どこぞの業者か知らぬが捨てていった大量の資材が生ごみなんぞが積まれたゴミ袋に混じって捨てられている。

よく分からない資材の他、テレビなど家電も無造作に捨てられていた。かつては近所の公園にお住まいだったホームレスさん達の格好の収入源だった訳で誰かが勝手に捨てていってもすぐに拾われるはずだったが、そんな方々を行政で囲って生活保護を与えて追い出してしまったせいでゴミがそのままになっているのだろうか、と推測。

土手上の車道に沿って見て行く事にする。この川沿いの土手道は都島通と京阪国道を行き来する抜け道的な役割を果たしているので殊の外クルマの通行量が多い。よく見ると土手の向かい側の家屋群もどこかオンボロ具合がキテる。

モルタル壁の家屋群も土手に面して並んでいて裏側は一段低い。土手を降りた東側は桜ノ宮名物のホテル街がすぐそこに広がっている。なんとも散歩し甲斐のある土地ですこと。潰れたたこ焼き屋が看板だけ残して放置されていた。これぞ本物の味でっせ!おいしいでっせ!

基本的に個人の住居が多いが中には建築業者の従業員寮らしきマンションもある。洗濯機が玄関先に置かれていて生活臭がきつい。かつて飯場だったという街の風情は戦後65年経ってもしっかり受け継がれている訳ですね。

バラック建築を正面玄関から見てみるが、やはり荒れっぷりが酷い。元々廃品回収業者が密集していた通りにあったので不法投棄が絶えないのはそのためだろうかと思われる。建物の傍らには粗大ゴミはそのままになっていた。

隣の三階建て「非文化住宅」を玄関から見てみるとこうだ。1階は何らかの作業所、3階は所有者の自宅?2階部分の造りがアパートっぽい。まだ人が住んでいるような雰囲気がある。

三階建ての右隣はまさしく廃屋そのもの。裏側から見たらベニヤ板で勝手口が塞がれその上に西大阪治水事務所の立入禁止札が貼られていたのがこの建物だ。まもなく建物も取り払われて緑色のフェンスに囲まれた空き地が出来上がる事だろう。

しかしその隣はバリバリ現役の業者車庫となっておりました。恐らく廃品回収業者の車庫と思われる。トラックが5台駐車出来るスペースがあるが、物置場を兼ねていて雑然とした雰囲気が強い。

バラック村を一生懸命写真に収めていた取材班の前を一台の大阪市環境局のゴミ収集車が爆走状態で走り抜けていった。一応時速20キロ制限の道だが、抜け道として使われているのでみんな結構飛ばすのだ。

特にこの道は環境局の車が頻繁に通る。近くにゴミ処理場か事務所でもあるのだろうかと思って調べたら源八橋の向かい側をちょっと行った所に大阪市環境局の北部環境事業センターがあった。

当記事は2011年に書かれた古いもので、現在この記事で触れられている不法占拠バラック建築群は撤去され残っておりません。「古鉄街」という名称で呼ばれていた場所なので本記事でもそう書く事にします。

>4ページ目を読む


The following two tabs change content below.
DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
トップへ戻る
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.