公園側から見るバラック小屋群の中でも特に惨憺たる状況が見られるのはホテル街に近い南側の数軒並んだ一画。よくわからないガラクタなどと一緒に主を失った犬小屋のようなものも残っている。
剥がれ落ちたトタン板やベニヤ板、網戸などに混じって車椅子まで打ち捨てられていた。
特に崩落状況の凄まじいこの一軒は廃屋となっているようだ。大量の落ち葉を被ったトタンの屋根は褐色に染められている。
恐る恐る崩落寸前の小屋に近づいていく。どうやら勝手口が付けられているらしく人ひとり分が辛うじて通れるような扉の跡が残っていた。肥満体ならちょっと無理がありそうな狭い扉の跡だ。扉の下には足場としてブロック塀2つが積み置かれている。
廃屋の勝手口は扉ではなくベニヤ板で塞がれてしまっていた。そこには「立入禁止」の札。西大阪治水事務所のもの。これを見ても当該物件は河川用地を不法占拠していることは明白。
その隣の三階建てのバラック家屋もなかなか凄まじい。土台部分の一部は公園だった時代の古いフェンスを巻き込んで土地ごとぶんどっている様子が伝わり生々しい。3階部分のバルコニーは崩落していて見るからに危険だ。
地図で確認するとこの三階建ての物件は「井口文化」という名前になっている。この体裁で文化住宅という事だろうか。不法占拠しているのなら文化的な住宅とはとても言えない訳で笑ってしまうのだがそのへんはケンチャナヨなのが大阪民国流。またの名を阪流&韓流。
そんな非文化的な建築物の足元にも大量のガラクタが置き去られていた。とても文明的ではございません。どこぞの未開の先住民族の集落にでも来たかのような風景です。
ガラクタに紛れて変な目覚まし時計が捨てられていた。これはアブドラザブッチャーか何かでしょうか。バラック村探索に耽っているとこんな形相をしたオッサンが追いかけてきそうな程の殺伐ゾーンだが我が身は安全だろうか。
非文化住宅の隣の2階建てもかなりオンボロ具合が凄まじい。枯れ草や植木に阻まれてかなり外観が判別しづらい。
ここの足元にもなぜだかベビーカーや古タイヤなどが捨てられて落ち葉がうず高く積もっていた。都会の死角ともいうべき光景。
この家は後付けでユニットバスを設置している。それはいいが堂々と公園敷地内にユニットバスを設置してしまうところが笑える。道頓堀大たこや天王寺公園青空カラオケの例を持ち出すまでもなく土地問題におおらかでいい加減なのが大阪市政。
2階建ての右隣は既に廃屋と化して取り壊された模様。緑色のフェンスが自己主張を繰り広げていた。恐らくバラック小屋の主が居なくなるまではこの状態が続くようである。
当記事は2011年に書かれた古いもので、現在この記事で触れられている不法占拠バラック建築群は撤去され残っておりません。「古鉄街」という名称で呼ばれていた場所なので本記事でもそう書く事にします。