ケミカルシューズと在日の街…長田区源平町にあった朝鮮人飯場は今どうなっているのか 

神戸市

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神鉄敷設工事に伴う労働力として集まった朝鮮人労働者の飯場の跡地は今どうなっているのか探りにやってきた我々だったが時既に遅しといった感じで飯場跡に通じる線路下トンネルも封鎖され建物も既に取り壊されている状況。しかし現地の空気を少しでも感じる事が出来ればと思い最後の悪足掻きを試みる。

飯場があった側から谷側を眺めると相変わらず山を切り開いて作られた独特な街並みが見渡せる。これが神戸長田のファベーラか。神戸電鉄の線路に阻まれ山側の谷筋に沿って開かれた3ヶ所の朝鮮人飯場は丸山駅に近い下側から順に「アレッくれ」(下トンネル村)、「カンくれ」(間トンネル村)、「ウッくれ」(上トンネル村)と呼ばれていたそうだ。

源平町関連の事はネット上でも有用な情報は少なく「神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者を調査し追悼する会」という1994年7月の日付が付いた古いサイトに僅かながら集落の調査結果に関する記述があっただけだ。かつてこの地はその地名の通り「源平の戦い」における古戦場の一つだった場所でもある。

当の集落はともかく丸山駅の存在といいこの辺の廃墟率の高さといい既にこの界隈は忘れ去られた土地なのである。新開地駅、湊川駅を出た通勤列車は途中駅をすっ飛ばして山の向こうの鈴蘭台駅まで止まる事はない。


容赦なく庶民的過ぎるアパートが立ち並ぶ長田区の「山の手」。とりあえず隣の鵯越駅まで歩いて行く事にする。気分はむしろちょっとしたハイキング状態である。

先程まではすべからくコンクリートで閉鎖されてしまい進む事の出来なかった神鉄線路下のトンネルだったが、ここは通れる。住所が長田区源平町にあたる一帯で唯一ちゃんとした住宅地になっている場所がこのトンネルの先にある。

ようやく神鉄の線路を跨いで山側に入る事が出来た。目の前には勾配を下る神鉄車両。既にこの辺でも充分チベットな雰囲気がするのだが神戸の「郊外」というのはとんでもなく山の向こうにまで伸びている。鈴蘭台駅から先は三木市方面と有馬・三田市方面に分岐する。

で、目の前に広がるのが源平町の所謂「普通の住宅地」。まあなんという事もなさそうな新興住宅地風の一帯である。ちょいちょいオンボロ風味な家はあるが、一応文化的な街並みである。この辺からも飯場跡が見られないものか見回したが、無理だった。

さらに住宅地の先には山中をぶち抜いて作られた比較的新しめなバイパス道路が現れる。見晴らしの良い場所を探してみたが、眼下に神戸市街地が見えるだけで手前の貧民窟は拝む事も出来ず。やっぱり駄目ですか。

そもそも建物自体も全部壊されてしまった上に相当な年月が経過しているのだ。恐らく飯場跡はまた自然に帰るまで放置され続ける事だろう。それにしても当初の立ち退き理由にあった「マンション建設」の話はどうなったのだろう。


結局煮え切らぬまま隣の鵯越駅まで歩いてきた。この駅も随分山の中にある辺鄙な駅である。目の前の歩道橋から谷底に置かれた駅舎を遠巻きに拝む事が出来る。

鵯越駅前。ここも隣の丸山駅程酷くはないがコンビニすらない寂しい風景。申し訳程度に食堂と酒屋が一軒ずつ。ひよどり商店にひよどり亭。「鵯」の字を読めるのは野鳥愛好家か地元民くらいか。

恐らく駅前唯一と思われる食堂。「里山ファーストキッチン」らしいです。いつの間にか区境を跨いで住所が兵庫区里山町になっている。相変わらずボロアパートが多い長閑な街並み。

帰りは神鉄鵯越駅から新開地行きの電車に乗って、最後は車窓から例の飯場跡を見てやろうという事にした。なお逆方向に乗って行くと次の菊水山駅はさらに超絶秘境駅なのだが数年前に事実上の廃駅となっている。結構わくわくしますね神鉄沿線。

で、肝心の車窓からの風景は…解体工事で破壊された瓦礫が放置されていたと聞いていたのだがひたすら山しか見えませんでした。もう完全に無くなったみたいで、宅地造成っぽい工事も始まっている模様。合掌。

【参考:源平町付近の航空写真】

より大きな地図で 源平町の朝鮮人飯場 を表示


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