工業都市尼崎のギャンブラータウン!「尼崎センタープール前」を歩く

尼崎市

工業都市尼崎には労働者の娯楽の王者たる「尼崎競艇場」があり、大阪市の住之江競艇場と並ぶ高密度オヤジタウンが形成されている。そんな尼崎競艇場がある街をちょっくらお散歩してみることにした。

尼崎市 尼崎センタープール前

尼崎競艇場があるのは、尼崎市の西部、阪神電車「尼崎センタープール前」という駅の近くだ。杭瀬、大物、尼崎、出屋敷と来て、その次にある駅。競艇開催日以外は各停しか止まらず。

尼崎市 尼崎センタープール前

関西以外の人間にはなんじゃこりゃ?ってなる「モータープール」ならお馴染みですが、「センタープール」という長ったらしい横文字の名称は、どうやら尼崎競艇場の池の事を指すらしいですよ。

尼崎市 尼崎センタープール前

そんな競艇場がある街の駅前には立派な看板を掲げた「ローン大阪屋」の建物がある。競艇でボロ負けしてもここまで来ればすぐに軍資金を調達できますね。尼崎市民の心強い「暮らしのローン」です。

尼崎市 尼崎センタープール前

しかしさすが競艇場の目の前にある駅だけあって、改札から競艇場への直通専用通路まである。住之江公園駅もこんな感じですが、公営ギャンブル場を軸にした街というのは独特の雰囲気がある。

尼崎市 尼崎センタープール前


200メートルくらいある尼崎競艇場への専用通路を歩くと、普段は掃除されて綺麗なようだが、これがレース開催日になると大勢のギャンブルオヤジが行き交い外れ舟券と煙草の吸殻が散乱する光景に変わるのだろう。

尼崎市 尼崎センタープール前

程なく「BOAT RACE尼崎」こと尼崎競艇場へ。戦後の貧しい中、自治体の財源確保の為に全国各地に作られた競艇場の一つ。関西ではこの尼崎と住之江、それから大津市のびわこ競艇あたりがよく知られてますわな。

尼崎市 尼崎センタープール前

入場ゲートの手前にも舟券の前売りや払い戻し専用の窓口があり、西成のドヤ街と見紛うような地味な服装のおっちゃん達が集まっていた。ちなみに場内にはタコの代わりにこんにゃくを入れた6個100円の「多幸焼」なる競艇場B級グルメもあるそうな。あんまり時間が無かったので入りませんでしたが。

尼崎市 尼崎センタープール前

競艇場の周辺も呑んだくれオヤジ御用達のアルコール類がやたら充実する自販機を置いた立ち飲み居酒屋なんぞもあって、「飲む打つ」の二拍子揃った街並みとなっている。では「買う」のはどこかって言われましても、当サイトからは申すことは出来ません。

尼崎市 尼崎センタープール前

競艇で大負けしてすっからかんでワンカップも飲めまへんわ…という敗残兵な方にもオススメの50円激安自販機もやけに多いのが特徴。こういう自販機の分布だけを見ていると本当に西成と大して変わらないんですけど。

尼崎市 尼崎センタープール前

ところで、尼崎競艇場なんかがあるこの界隈には、かつての阪神工業地帯の中心にあった尼崎市ならではの「昭和の貧しさ」を未だに引きずる街並みが残っている。尼崎センタープール前駅からJR立花駅を南北に貫く幹線道路「道意線」を軸に歩いてみましょうね。

尼崎市 尼崎センタープール前

阪神本線の線路から南側一帯は道意線の名の通り「尼崎市道意町」という地名がある。ドイチョウかドウイチョウかどっちが正解なんだと思っていたんですが前者の読みが正しいようです。競艇場の道路交通警備員が突っ立っている道沿いに古びた民家や大衆食堂などが軒を連ねる。

尼崎市 尼崎センタープール前

そんな道意線から西側の路地に入ると、かなり年季の入った錆だらけのトタン葺き民家が数多く残された区画があり、未だに昭和の暮らしを続けている住民がいる。

尼崎市 尼崎センタープール前

平屋建てのバラック同然の家屋、屋根の上にまるで後から付け足されたような奇妙な形状のバルコニーが、半ば朽ちかけた状態で残っている。これでよく崩れないもんだな。

尼崎市 尼崎センタープール前

この区画だけは開発の手から逃れてきたかのような佇まいが残り、平屋建ての所謂文化住宅的なお住まいが未舗装の路地に固まっている。一部はコインパーキングに変わったりしているが、これでも結構住民もいて生活感が濃い。

尼崎市 尼崎センタープール前

何年前に廃業したか分からないような古びたお好み焼き屋なんぞもあり、昭和ムード満点の界隈。駅から競艇場へ向かう道とは逆側にあるので、ギャンブルオヤジもあんまりこっち側まで来る事がない。

尼崎市 尼崎センタープール前

道意町付近も尼崎の工業地帯に隣接してあるという土地柄、かつては在日コリアンも多数居住し密造酒なんかも作られていたという。そういう歴史は、関東の川崎あたりとやけに被るよね。さすがに今は残ってはいないだろう。

尼崎市 尼崎センタープール前

尼崎競艇場の南西側にぽつんと境内地を構える「道意神社」。神社の由来が書かれた案内板を見ると「承応二年大阪海老江の人道意翁当地を開拓し」云々書かれている。道意町の地名の由来はこの地を新田開発した「道意翁」なる人名から来てるようだ。

場所柄だけに賭け事の神様という訳でもなく、参拝者の姿も無かった。競艇開催日でもなければ、地味で鄙びた下町といった所ですかね。


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