全米オープン優勝・大坂なおみを生んだ西日本テニスの聖地「靱公園」を歩く

大阪市西区にある、靱(うつぼ)公園。公園がただでさえ少ない大阪市民の数少ない憩いの場でもあり、東西800メートルにもわたる横に長い形の珍しい公園である。もともとこの土地は日本敗戦時にGHQに接収された小型機専用の飛行場の滑走路だったため、その名残りが公園の形になって今に至っているのだ。

公園はなにわ筋を挟んで「東園」と「西園」に分かれていて、西日本テニスの聖地として知られる「靱テニスセンター」は西園にあり、市内屈指の規模を誇る「バラ園」が東園にある。公園の東の端は地下鉄四つ橋線本町駅・肥後橋駅、西の端は地下鉄中央線および千日前線阿波座駅が最寄りとなる。

靭公園と言えばテニスコート。あの大坂なおみも幼少期に居た西日本テニスの聖地

なにはともあれ靱公園と言えばテニスコート。国際大会に対応できる仕様となっており、収容人数5500人のセンターコートと、500人のサブコートを16面備えている。「なみはや国体」などでスポーツ施設建設ラッシュとなった1995年に完成させている。

女子テニス新時代 大坂なおみSpecial (TJMOOK)

いま日本中を騒がせている全米オープン最年少優勝選手である大坂なおみ(大阪市出身)が幼少期にこの靭公園のテニスコートで実父と練習をしていた事もある場所と言えば、その凄さが分かるのではなかろうか。

随分ごつい佇まいの「靭テニスセンター・センターコート」の建物は90年代の大阪市による箱物乱開発時代のもので無駄に豪華な外観が際立つ。5500人収容のセンターコートは国際大会も行われ、日本国内のテニスプレイヤーにとっては憧れの的である。野球は甲子園、ラグビーは花園とくれば「テニスは靭」なのである。大坂なおみの活躍でますます脚光を浴びるものとみられる。大阪人も久しぶりに自慢できる出来事が起きて本当によかったね。

2006年世界バラ会議で靭公園からホームレスが排除された

今でこそテニスの聖地として誇らしげな靭公園だが、大阪市は2006年初頭に「世界バラ会議」を開催する名目で、靱公園に住んでいたホームレスを強制排除した事もある。そのときは、当事者よりもはるかに大勢のチンドン屋プロ市民が駆けつけてきて、テレビでも全国報道されるほどの大騒ぎとなった。

現在、靭公園内にホームレスは居住しておらず、バラ園として整備された東園の一部以外は主だった変化はない。彼らが居住していたエリアも別に大きな工事をしたわけでもなく今に至っている。

そんな香ばしい騒ぎの舞台ともなった靭公園東園のケヤキ並木。秋はご覧の通りなかなか風情のよさを見せてくれるのだが、よもや一昔前にそのような出来事があったとは想像がつかない。

中央の広場に、公園で仲睦まじく遊ぶ家族…のブロンズ像。服まで着てるし本物の人間と見間違える精巧さである意味怖い。夜中に遭遇すると結構キませんかね。

靱公園のある一帯は基本的にオフィス街なので、ここで遊んでいる家族の方がブロンズ像よりも少なかったりもする。ホームレスのねぐらになっていた事も人が近寄らなかった原因だが、今はえらい綺麗なバラ園まで出来て、立派になっとりますさかい。

股間を大怪我する靭公園の強烈噴水池、子供は遊ばせないでください(特に女児は)

公園内の噴水池。かなりの水圧で水が吹き出ていますがこんなところで小さな子供を遊ばせたりする非常識な親もいる。

2016年6月にはこの噴水池で遊んでいた4歳女児が股間を噴水が直撃した事で臀部を出血する大怪我を負うという、血の気も引くような事故が起きている。怪我の状況にもよるが、もうこの女児は大人になって出産をする事が難しくなったのではないだろうか。こんな危険な噴水池で遊ばせちゃダメよ~ダメダメ。

バラ園が名物でもある靭公園

テニスコートが自慢の靱公園がもう一つ自慢にしている「バラ園」、88品種、2500株のバラを植えて市民の皆様をお待ちしております。

バラの代わりにここを追い出されたホームレスは長居公園や大阪城公園などに散っていきましたが、翌2007年の世界陸上開催の影響でさらにそれらの公園からも追い出されていった。

…と思ったらバラ園を望むベンチでオッチャンが寝そべっている姿が見られるのである。靭公園名物「バラとホームレス」の図は今なお健在か。

でも、特定アジア限定国際都市・大阪民国と言えば真っ赤なバラより真っ赤な某国の存在がこの靭公園でもチラつくのである。

なぜなら靱公園から阿波座駅寄りの場所に「中国総領事館」があるからだ。なので、この付近は警察官の検問などが多い。中国に抗議する市民運動家らがこの靱公園に集まり、中国総領事館前までの間でデモ行進を行うことも良くある。

靭公園の昔を偲ぶ楠の古木と「楠永神社」

靭公園の昔の姿を唯一留める「楠永(くすなが)神社」。戦後はGHQの飛行場だった場所だが、それ以前は江戸時代からの歴史を連ねてきた「靭海産物市場」がこの地にあり、戦後埋め立てられた海部堀川沿いの永代浜と呼ばれていた船溜まりが海産物の荷揚げ場として栄えていた事から来ている。

靭公園の一帯は大阪大空襲の被害で焼け野原となり、当地はこの楠の木が一本だけ奇跡的に焼け残った。GHQによる飛行場建設の折に伐採される予定だったが、地元住民によって守られ「巳さんの楠」と呼ばれる御神木として今もなおその姿を残している。その樹齢は300年を越していると言われる。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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