【狭山池】ガチな文教都市らしい南河内の意識高いタウン「大阪狭山市」を知ってます?

大阪狭山市

大阪府南河内地方…羽曳野といい富田林といいヤンチャ過ぎるお土地柄で、他地方からの出張族はとても馴染む事ができないと悪評高い。つい最近も“警察署脱走騒動”で有名になった富田林市で違法な草の栽培工場が摘発されて関係者が7人も逮捕されてましたが、本当救いようありませんわ。

大阪の中でも、そんなリアル北斗の拳で万年ヘル状態な南河内にどうしても引っ越さなければならない事情があった場合、住環境にうるさい方々に推奨されるのが、文教都市として知られる「大阪狭山市」の存在である。先日は同市で最大の人口を誇る金剛ニュータウン(金剛団地)金剛駅周辺を探索したが、今回は南海高野線でその隣にある「大阪狭山市駅」をうろつき回る事にしよう。

南海なんば駅から急行に乗り、北野田駅でさらに各停に乗り換えて約30分。大阪狭山市駅を降りる帰宅中の勤め人や学生の人並みをホームの上で眺める。すぐ東隣にある富田林市の中心地で、土着感極まる近鉄長野線富田林駅とは少し趣が異なるのはこの時点でお察し頂ける事請け合いであろう。

駅前に街の一番の名所である狭山池と大阪狭山市役所があることから、南海の駅名もそのようになっているわけだが、関西人なら十中八九大阪の狭山と勘違いするであろう、同和がらみで超絶有名な“狭山事件”と茶処で知られる埼玉の狭山市も中心駅である西武新宿線の駅名が「狭山市駅」であるので、駅名もかぶらないように頭に“大阪”を付けざるを得なかったのだろうか。 実は昔の駅名は「狭山遊園前駅」。南海電鉄傘下の遊園地「さやま遊園」が2000年に閉園した事を受けて今の駅名に変わっている。

特急電車も停まる隣の金剛駅とは違い、こちら大阪狭山市駅前はローカル感プンプン漂う風景だ。平屋建ての相対式ホームを持つシンプルな駅舎は無人駅、しかも行き来するのに邪魔なこの踏切…どうにも田舎臭さが拭えない。しかし市の条例で規制されている通り、駅前どころか市内にパチンコ店が一軒もないのが街の自慢。

駅近くにある大阪狭山市役所の三階建てのこじんまりした庁舎は人口6万人足らずのミニ自治体の風格漂っております。しかし駅周辺を歩いていても特にツッコミどころのある風景もなく困り果ててしまいました。さて…

ふと来た道を振り返ると、そこには隣の富田林市のランドマークタワーとなっている、パーフェクトリバティー教団の「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」の高さ180メートルもある白い塔身が堂々とそびえている。大阪狭山市と富田林市の中間地点にアレがあるので、どちらの市民にも馴染み深い存在だ。

とりあえず狭山池でも見に行くしかありません

ともかくツッコミどころも乏しいままなので、大阪狭山市で一番の名所である「狭山池」を訪れる他ない。「1400年の歴史を今に伝える 日本最古のため池」らしいですよ。

道行く足元のマンホールにもこの狭山池推しっぷり。2016年でちょうど築造1400年だそうで、古くは日本書紀にもその存在が記されたというほどのもの、それが狭山池らしい。はー、そりゃ凄いですが、ため池はため池ですよね。

…と毒づきながらも池の周りに整備された遊歩道をとぼとぼ歩いてみる。ここは大阪狭山市民にとっても普段から馴染み深い場所であるはず。時折犬連れの奥様方やジョギングに勤しむ夫婦など、健康で文化的な中程度の生活を営む市民の姿が見られるが、ホームレスだとか身元不明者だとか怪しい人はさっぱり見かけません。


狭山池の外周は周囲3.4キロ、飛鳥時代から水源に乏しかったこの地方の灌漑用水を貯め込むためのダム湖として作られたもので、江戸時代に大和川が付け替えられるまではこの狭山池の水が現在の大阪市内に至るまで流されていたそうな。今でも南河内地方のあちこちに小さなため池があるのは、その時代から続いていた苦労の産物なのである。

そんな歴史ロマン溢れる狭山池を望む絶好のレイクビューに立地する大型マンション「さやま池公園アーバンコンフォート」が存在感を顕にしている件。2004年築だが、例えば3LDK約77㎡の一室が家賃134,000円で賃貸に出されている。いたって中堅サラリーマン向けに手が届きそうな物件だが、先に触れた「さやま遊園」の跡地に建設されたものだ。

特にさやま遊園跡地付近はオサレな戸建て住宅街や、小奇麗めなパティスリーなんぞもあって、地元のマダムが優雅にアフタヌーンをエンジョイしているという意外な光景も見られる。知る人ぞ知る「南河内の意識高いタウン」がここにあるのだ。

また狭山池の南西側一帯には「狭山ニュータウン」と称する一帯があり、ここにも多くの勤め人世帯が暮らしている。このへんの住民もバスで金剛駅に出て大阪市内に通勤している。

富田林市から大阪狭山市を抜けて泉北ニュータウン方面に向かう府道202号線(狭山池通り)が狭山池の南端を掠めている。そう言えば昔「はいから村」という温浴施設のテレビCMがよく流れてましたが、こんな辺鄙なところにあって驚いた記憶がある。2007年に閉館し、現在はリニューアルされ「スパヒルズ」と称する施設が営業している。

住之江競艇場の前身!たった3年で姿を消した幻のボートレース場が狭山池にあった

ちなみにさやま遊園があった池の東側は、かつて戦後の一時期だけ「狭山競艇場」というボートレース場も存在していた。昭和27(1952)年9月に開場したが、大阪市中心部からも遠い事で客足も途絶え、みるみるうちに売上も減少、赤字続きの中で夏場の干ばつによって池の水が干上がった事がとどめとなり、昭和31(1956)年4月には早々に閉鎖され、現在の住之江競艇場に機能が移されたのだ。

もし競艇場が住之江に移されずにここ狭山にあり続けたとしたならば、今のような街の形にはなっていなかっただろうし、パチンコ屋を条例で締め出す事もしていなかったかも知れない。ちなみに競艇の収益で儲けを出してる事で定評のある自治体と言えば、首都圏のお話になってしまうが戸田競艇場のある埼玉県戸田市や平和島競艇場を運営する東京都府中市とかが思い浮かぶんですが、戸田も平和島も総じて住環境がろくでもない。

狭山池を一周する遊歩道から遠目に見えるのは、大阪市街地に立ち並ぶビル群やその向こうの北摂の山々である。特に高さ300メートルもある「あべのハルカス」は一発でわかりますわな。それはそうと、こんなに眺めが良いという事は当地の海抜も高いようで、もちろん津波の心配とは無縁か。

こんなところにも安藤忠雄コンクリ打ちっぱなし建築が!「狭山池博物館」

狭山池の北側には池の水を堰き止めるダムがあり、その後ろにへばりつくように建つコンクリートの箱が鎮座しているのが見える。これも狭山池の名物「狭山池博物館」という名のハコモノである。

同館は2001年に完成した大阪府立の博物館で、その名の通り狭山池の成り立ちやその役割、土木遺産にまつわる展示を専門に行っている施設となっている。

そしてこの珍妙な建築物もその設計は大阪が生んだ建築界の巨匠・安藤忠雄が行っている。同じ南河内では河南町にある「大阪府立近つ飛鳥博物館」も同人の設計で建てられていて、安藤マニアな方々は二つの博物館をハシゴするのが定番と言えよう。

既にエントランスからしても容赦ないコンクリート打ちっぱなしっぷりで、安定の安藤建築がこれでもかと堪能できる事請け合いである。

とりあえず中庭と呼んでおけばいいのか、エントランス前の空間には水が張り巡らされた一画もあり、異空間っぷりを放っている。狭山池博物館の展示に興味はなくとも、ここまでであれば入場料は不要なので見に来ても損はない。

狭山池博物館の館内。飛鳥時代のダム湖が高さ15メートル、長さ60メートルの大きさで移築、現物展示された「北堤の断面」が同館の目玉である。さしずめ土木マニア垂涎の地というべき場所かも知れないが、子供連れだとか、何も知らない一般ピープルが喜び勇んで観光に来るような場所ではない。


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