【富田林市】南海金剛駅最寄りのマンモス団地「金剛団地」を見物する

大阪府南河内地域、南海高野線「金剛」駅の東側一帯には、高度経済成長期に造成されたニュータウンが広がっている。大阪狭山市と富田林市にまたがる「金剛ニュータウン」には約1万8千人もの人口があり、隣接する「金剛東ニュータウン」と共に大規模な団地や新興住宅街が整備されている。

その金剛ニュータウンへの入口にあたる南海高野線金剛駅東口を出てすぐのところにあるのが「金剛団地」である。今回この団地に立ち寄る機会があったので紹介したいと思う。駅前ロータリーから伸びる片側二車線の幅広道路がニュータウンのメインストリート感を放っているが、近年は人口減少が激しく過疎化が始まっているらしい。

金剛団地という昭和の遺物

駅前から金剛団地の中央を貫く大通りをとぼとぼ歩く。ただの一人もすれ違う人間の姿がない。金剛ニュータウン(金剛東ニュータウンも含む)自体は相当広大で、歩き回れないほどにでかい。住民はマイカー利用がデフォか。

しかし駅前の便利そうな場所がかえって寂れてしまっているのが意外である。金剛ニュータウンの中心商業施設「エコール・ロゼ」にも遠く、ここに買い物しに行くにも通常はバスに乗り継いで行くことになる。

金剛団地は高度経済成長真っ只中の昭和42(1967)年に、千里や泉北ニュータウン、香里団地(枚方市)といった大阪府内の大型団地と並ぶ規模の巨大プロジェクトとして造成され、最盛期には2万6千人を数える人口があったとされるが、今ではかなり減少している。

南海高野線に乗れば難波から片道25分程度で着く、傍目から見れば程良い郊外のニュータウンと思う立地だが、駅に近い箇所にあるこれらの住宅棟も軒並み生活感が乏しい。住民の高齢化によってどんどん空き家が増えだしているのが現状の問題点である。

金剛団地にあるこれらの住居棟は日本住宅公団(当時)によって建設された公団住宅であり、今も全域がUR都市機構が管理する賃貸住宅となっている。家賃相場は3K48㎡で33,200円(+共益費2,090円)などと、ファミリータイプでも驚きの3万円台。激安である。

ちなみに金剛駅があるのは大阪狭山市だが、駅東口のこの地点から先が富田林市になる。駅前に市境が走っており、同じ市内でも近鉄長野線が走る旧市街地とこちら金剛ニュータウン側では住民の層も使っている鉄道路線も全く異なる。

昭和25(1950)年の市制施行当時には3万人しか居なかったものが、金剛ニュータウンが出来て人口が3倍に増えた街、それが富田林市だ。南河内のガラの悪い土着民が仕切る旧市街地、都心に通うブルーカラー層が住む新興のベッドタウン、全く違う二つの顔を持つ街である。

同じく富田林名物のPL教団がぶっ建てたアーティスティックな「大平和祈念塔」も昭和45(1970)年に完成し、大阪万博開催の時期も相まって千里丘陵にそびえる「太陽の塔」と対を成すかの如く、憧れの未来都市的なノリで金剛ニュータウンの存在が知られるや窮屈な大阪市内を脱出して移住した人々の姿も多かったのだろう。

PLタワーがそびえるニュータウンも、その足元を見れば団地の窓にいつもの公明党なっちゃんポスターがベタベタ貼られていたりするので相変わらずの「常勝関西」っぷりである。地名が金剛だけに創価学会仏壇専門店の「金剛堂」はないものか地図を見回したが、どこにもなかった。

日本が好景気に湧いた熱狂の時代から既に半世紀近くが経過し、団地に寄り添う商店もどこかしら活気が乏しい。駅前から既に寂れた感じが漂っているのが気掛かりだったが、このあたりの住人ともなると自家用車利用が普通なので駅前が栄えなくとも生活上の不便さは感じないのかも知れない。

マイカーを持たない、オールドニュータウン化した団地に住まう高齢者世帯はどのように生活しているのだろうか。些か心配になりそうな光景が金剛団地の中のとある場所に存在している。

銀座感ゼロな激廃れ商店街「金剛団地銀座商店街」

金剛団地の中心に近い一画に「公認 金剛市場」と書かれていた看板が取り外され、その跡だけが痛々しく残っているのが見られた。どうもここが金剛団地住民のお買い物スポット「金剛団地銀座商店街」(金剛銀座街ともいう)らしいんですが…

そこに足を踏み入れると…見事にがらんどうで何もない広場が団地の住居棟に囲まれてポカーンと口を開けているだけだった。マンモス団地の中心がこれとはあまりにも酷い。どうなってしまったのだ。

元々この商店街に向き合い隣接する「ピュア金剛」(金剛公設市場事業協同組合)という公設市場があったのだが、そこが閉鎖されてもぬけの殻になってしまったために商店街自体の賑わいもなくなった模様。

もっとも、ここのすぐ東隣には関西スーパーが核店舗になった「金剛ショッピングモール」も併設されているが、その間にマンションが挟まっているためか買い物客の動線からは見事に外れてしまっている。

残る店舗も肉屋だの寿司屋だの、あとは化粧品屋や整骨院や空手道場といったものがちらほら営業しているだけ。やはり侘しい感じが否めない。もはや“銀座感”も皆無である。

昭和な佇まいそのまんまな店構えな団地の下の寿司屋「すし祥」、店先には「出前に行っております」の札が張り出されている。過疎化が進む団地とは言え、まだまだ現役だ。

その傍ら、あっけなく商売を辞めてしまった店舗もあり…団地を管理するUR都市機構としてもこのまま廃れるに任せるわけにもいくまいと、無印良品とのコラボレーションで古い団地の部屋をリノベーションした物件をプッシュするなどテコ入れに躍起である。

また金剛団地銀座商店街では2018年より毎月第四土曜日に「軽トラマルシェ」と称して地場産野菜などを販売するイベントが行われているらしい。寂れゆく団地の商店街だが、ただでは転ばない。次の世代に街のあるべき姿を繋げられるか否かが試されている。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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