大阪市西成区、日本最大のドヤ街「釜ヶ崎」を抱える最強最悪のスラム…だなんていつもこういう汚れ役をさせられている不遇の街だが、コアなドヤ街や三角公園やあいりん労働福祉センターなんぞを省けば実に純朴な昭和の風情が色濃く残る街並み遺産のような場所がそこかしこに見られる場所でもあるのだ。
今回お送りするのはそんな西成の飛田本通商店街あたりである。ここは有名な飛田新地への参詣路。動物園前の駅を降りたらまっすぐこの商店街を突っ切れば例のあの街へ至る訳であるが、そこまで行かずに途中で右に折れてみましょう。
スーパー玉出今池店の先の路地を動物園前駅方面から来た場合は右、つまり西方向に入ってみよう。場所柄だけに「小便するな」とかなりしつこく警告貼りまくってるお宅があってのっけから香ばしい。「ゴミ置くナ 近所でナスリ合いスルナ!!」とまで言われて、近所でなすり合いだなんてこれも場所柄でしょうか。
そりゃあ生きた人間の墓場とまで言われている土地、膀胱のいかれたアル中ばかりだもの苦労は察しますがこれだけカンカンに怒ってもどうせ壁に小便されるんでしょう。小便除け探しの楽しみもクオリティが高すぎる西成さすが。
この場所はちょうどスーパー玉出今池店の裏手にあたる。至近距離に4軒くらいスーパー玉出が密集してるんですが圧倒的に貧民の支持を得ていて庶民の王者を自称するデーサク先生を信奉する某三色旗団体もここでは歯が立たない模様です(でも、ドヤ街以外では常勝です)。
ここいらは車が通るのも難しい程の狭い路地に古ぼけた住宅街が連なる。しかもすぐ裏手が旧南海天王寺支線の線路跡で道路がぶった切られているので袋小路状態と言っても良い状況。
そんな曰く有りげな路地を突き抜けると、袋小路の奥まった所に鳥居がぽつんとそびえているのが見える。あれが「松乃木大明神」という神社である。
松乃木大明神、見るからに古めかしい土着の神社といった感じだ。明治34(1901)年に建てられたもので、その歴史はあの飛田新地が出来る以前からだ。路地の奥というロケーションだけに、地元民でなければこの神社に辿り着けるのは結構難しい。
神社の境内は猫の額程しかないごく狭い範囲のみ。すぐ背後は旧南海天王寺支線の線路跡があり、拝殿の横には近松門左衛門碑が建てられている。超有名な「曽根崎心中」を筆頭とした江戸時代の人形浄瑠璃・歌舞伎の劇作家として知られる同氏の顕彰碑があるというのは、この土地がかねてから芸事と関係が深いという事を意味しているのか…
すっかり黒ずんだ石碑は高さ3メートルくらいはあるだろうか立派なもので「平安堂近松巣林子信盛碑」と刻銘されている。平安堂も巣林子も近松門左衛門の所謂ペンネーム。明治36(1903)年に天王寺で第五回内国勧業博覧会があって、その時に元々天王寺公園になる予定の土地(博覧会会場)にあったものを移設されたらしいですよ。それはそうともう一つ石碑があって…
「猫塚」の二文字がでかでかと記されていたのだった。元々松乃木大明神が出来たのもこの猫塚を建てた時と同じらしい。つまり猫を供養する塚があるという事は猫の革が三味線の原料になるからであって、これも芸事と無関係ではあるまい。ともかくこの神社が飛田新地が出来る前からあるという所が興味深いですよね。