京都市北区衣笠開キ町にある砂防ダムの中に作られた謎の不法占拠集落に迫る

京都市

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砂防ダムとなっている崖下の集落を取り囲むように一般の住宅が立ち並ぶ道をまずは反時計回りに見ていく事にした。意味深な朝鮮学校の建物を横目に紙屋川に架かる橋のたもとまで辿り着く。

朝鮮学校裏手の橋はなんとか車一台分が通り抜けられる広さがあるだけで、古びた鉄の欄干が寒々しく、そして降り積もった雪で足を滑らせて下の川へ転落しないように、恐る恐る橋を渡る。向こう岸には割に綺麗目な一軒家が並んではいるが、家の表札があっちの苗字の人がいくつか目についた。

朝鮮学校に向きあう川沿いに一列に並ぶ住宅地を経て、再度砂防ダムの底に沈むゲットーを目指す。

川の西側から一帯を望むと、佛教大学のある東側の河岸段丘の方が高い事に気付く。再びトタン張りのバラックがちらほら見え出す。


朝鮮学校がある側の斜面に建つ廃屋バラック群。草木がびっしり覆い茂っていて気軽に立ち入れるような状況ではない。

バラックに加え、河岸段丘の斜面には近隣住民による家庭菜園も。なんともエコでロハスな生活っぷりです。

さらにこんな場所に宮内庁による「立入禁止」看板が置かれていた。どうやらこの土地は「一条天皇・三条天皇火葬塚」らしい。京都にはよくある話だが街中のひょんな所に天皇陵があったり皇族関係の土地がある。

皇族ゆかりの土地に隣接して、フェンスに囲まれた不自然な一画が現れる。どうも不法投棄が後を絶たないらしく京都市によって建てられた「不法投棄監視中」の看板があちこちに置かれていた。

そもそも砂防ダム内集落も朝鮮学校もどういう経緯で土地が使われだしたのか分からない訳である。まるで都市の死角のごとくこの場所に不法投棄が相次ぐのも、何かの因縁を感じざるを得ない。

そろそろ真打ちの砂防ダム内集落へと潜入してやろうと企んでいる訳だが、やはり一筋縄では行かない場所だ。まず集落への入口はこのような他人の家の勝手口の裏へ続くような細い脇道を抜けていく必要がある。4ヶ所くらい入口があったが、この入口からだと巨大な番犬が何匹も飼われていて非常に怖いので、別の場所から入る事にする。

少し南側に駐車場があり、その脇からもう一つの入口を確認出来た。駐車場の奥から砂防ダム内集落を眺められる。中央部分がかなり広くなっていて、土地の大部分が家庭菜園として使用されていたが、雪のせいで相当見えづらい。

隣家と駐車場の間、幅1メートルもない裏道を進んで砂防ダム内集落へ入る。ここは比較的出入りしやすいポイントである。

突き当たりはT字路になっていた。砂防ダム内に建てられた住宅に沿って道が双方に広がっている。民家のトタン屋根が腰の高さくらいの場所まで落ち込んでいる。まだまだ底ではない。

右側の道を進むとその先に2,3軒の民家の玄関口があるが、その先は突き当たりになっていた。ここまでやってくると周囲の家々とは完全に隔絶された空間である事を実感できるはずだ。

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