日本で最も有名な指定暴力団である山口組の発祥が神戸であることはよく知られている。その本部があるのは灘区篠原本町4丁目。毎年ハロウィンの時期になると近所の子供を集めてリアルな「トリックアンドトリート」をやる事で話題になったが、発祥の地は神戸港に程近い、兵庫区西出町。港湾労働者を集める港湾荷役人夫供給業として成り立ったのが始まりである。
この「兵庫区西出町」という地名は現在もきっちり存在している。JR神戸駅の南側、新開地商店街を東に突っ切った先の国道2号・阪神高速神戸線を跨いださらに先の一帯である。ここに「稲荷市場」というかなりくたびれたレトロ市場が残っていて、いっぺんこの界隈を歩いてみようという事になった。
しかし市場の中にいざ入ってみると…屋根だけ残ってはいるが両脇の店があっちゃこっちゃ歯抜け状態になっててトタンで塞がれているわ、残った店もシャッターを降ろしたままだわ…どうなっているのでしょう。
この異様な歯抜け状態がまず目に飛び込んで、この市場には何が起きたのか一瞬考えたのだが、やはり原因は20年前に起きた阪神大震災だった。市場にあった建物の半数が全壊し、その多くは再開する事なく空き地と化していたのだ。
ついこの間、震災から20年を迎えた神戸…今年の成人式に参加する新成人もまだ生まれていなかった遠い昔の出来事になってしまい、殆どの街は復興したかのように見えているが、ところがどっこい、復興という言葉とは無縁で、被災後にそのまま廃れたような街も存在しているのだ。
空き地に生え放題となった雑草や植物のつるの伸び具合が、空き地となってからの年月の長さを物語る。そして歯抜け状に残った路地裏の民家には未だに人の営みがある。
市場の両脇の店舗が震災で破壊された末に解体されて空き地になった後、店舗が建て直される事もなく、市場のアーケードだけが中途半端に残った形になっている。土地の権利関係が複雑なのもあるのだろうが、思い切った再開発をするのもままならない様子。
市場の裏手の細い道に回ると、かつて下町住民御用達だったであろう食堂やお好み焼き屋の看板だけが残っている。新開地商店街のさらに先に伸びるこの界隈は、川崎重工やその下請けとなる造船所の労働者が集まり賑わっていた街だった。
残された店舗兼住宅も見ての通りのボロ家だったりとかなり見た目にも凄い事になっている。昭和の時代にはこの密集した路地にも多くの庶民が行き交い、それぞれの営みがあったのだろう。
震災前までは寂れていたとは言えそれなりに賑わいのある市場だったという。しかし今では残った店舗も跡継ぎが居なかったりでどんどん数が減ってきているというのが現実で、寂れるに任せる一方だとの事。
稲荷市場は西半分が西出町、東半分が東出町に分かれている。西出町部分には「西出稲荷市場」という名称が見られるが、市場の中央寄りにある個人経営の小さなスーパーくらいしか店を開けていない。
西出町と東出町の間にやや道幅の広いアーケード街があり、この付近は辛うじて暇そうな商店主や地元住民の買い物客の姿がある。自転車があればすぐにJR神戸駅や新開地方面にも出られる交通便の良い場所には思えるが、この寂れっぷりは何なのだろう。
もっともこの付近にある店舗もシャッターを下ろしたままの所が目立っている。行き交う買い物客も高齢者ばかりで、手押し車を押しながらとぼとぼ歩くヨボヨボの婆さんなんかが居たりする。
アーケードを外れた一画、2階建ての古びた長屋が連なる昔ながらの住宅街の路地。空き家が多いのかも知れないが、生活感が全く感じられない。それにしても、ここが山口組発祥の地か…