【天王寺区】廃墟ホテルとホームレス村と防空壕があるネガティブカオスパーク「生玉公園」へようこそ(2011年)

大阪市天王寺区

地下鉄谷町九丁目駅を降りて南西方向に行くと有名な生國魂神社があるが、その周辺は見事にラブホ密集地帯という何とも怪しいロケーションである。生國魂神社に隣接する生玉公園は、寺とホテルに囲まれた一帯にある市民の憩いの場、というかホームレスの憩いの場になっている。

パッと見は何という事のないフツーの公園で、入ってすぐの場所にグラウンドがある他は奥の方にダラダラと公園用地が続いていて、松屋町筋まで抜ける事が出来るようになっている。

とはいっても肝心の遊具などは殆ど置かれておらず、むしろ殺風景な印象すら受ける。公園のすぐ裏手には古い民家がずらりと裏口をこちらに向けていて、生活空間が間近に観察出来る。

公園の南隣にある齢延寺の本堂が裏手から拝める形になっているのだが、数年前に来た時とは様子がだいぶ変わってしまっていた。なぜならこの場所には公園のど真ん中にあるにも関わらず仰々しく聳え立つラブホテルの廃墟がデデーンと存在感を放っていたからだ。

確かに同じ場所にあったはずのホテルの廃墟を2008年夏に見に来た時はこんな感じだった。相当長期間放置されていたもので、建物のセンスから見ても昭和30年代に建てられたのではないかと思われる。


家と公園の土地の境界も曖昧な場所にバラック家屋と並んで建つ不気味な洋館「ホテル園」の勇姿でございます。

窓と言う窓は全てベニヤ板が打ち付けられていて外部の侵入者を頑なに拒絶している。色褪せた外壁は塗装が剥がれ落ちている跡が見受けられる。

建物の規模から見てもそれほど大きくはないはずだ。部屋数は10も行かないだろう。すぐ背後には齢延寺の境内が広がっているので正面の奥行きもそれほどではない。外壁が一部崩れ落ちていた。

しかしベニヤ板の一部は壊されていて明らかな侵入者の形跡があった。その脇には鉄柵の切れ端に「とるな」の文字。土地所有者によるものだろうか。どう見てもガラクタだらけで凄まじい状態なのに肝試しに入りたがる奴もいるものなのだ。

戦後間近の赤線カフェー建築を想起させるデザイン。まだ「連れ込み旅館」という呼び方がされていた頃の時代の空気を濃密に残している。公園の木々にすっかり建物を覆われていて神秘的にすら感じられる。

そんな建物の前に、なぜかゴミ溜めとして使われている軽トラックの廃車と小さめのダンプの荷台のような鋼鉄製のボックスが放置プレイかましてました。

言うまでもなく公園用地に不法投棄という形なので大阪市からの警告の張り紙が貼られてはいるもののさっぱり意味がない。廃ホテルオーナーの仕業なのかそれとも…

ゴミ溜めと思って鋼鉄製ボックスの中を見てみると、そこには廃パチンコ台にドル箱がガラクタに混じって置いてあった。潰れたパチンコ屋の店主でも居たのだろうか。飛ぶ鳥跡を濁さずという日本の諺は彼らには通用しない模様です。

その他、謎のレンガ積みの遺構が残されていたりとかなりミステリアスな様相を呈する生玉公園。子供を遊ばせるには少し敷居が高そうな感じがしなくもない。

そればかりか、廃ホテルの横には今も住人が存在する現役の民家が残っているのだ。ホテルに負けず劣らず不気味さを放っている。どう見ても使っていないカバーが被されたまま自家用車が傍らにある。一体ここはどういう土地なのか皆目見当がつかない。(航空写真で見ると隣接する齢延寺の敷地であるようにも思える。戦後のドサクサで寺院の土地の一部が善意から戦災で焼け出された人々に貸し出されたりしたケースは他の地域でも見かけるが…)

生玉公園の不気味さを象徴していた「ホテル園」もいつの間にか全て取り壊されてしまい往時の影は薄らいでいる。恐らくは公園内に不法投棄されていたパチンコ台などが詰まった箱なんぞも税金を使って撤去したはずだろう。もうネタ切れか、と思ったがその奥に広がるホームレス村の様子を見ていなかったので、再び生玉公園を探索する。

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