【八尾空港】駅前一等地なのに何もない!陸軍飛行場の遺構が残る「八尾南駅の駅裏」を観察する

大阪市域からちょこっとはみ出て八尾市に入っている地下鉄谷町線の最果て「八尾南駅」で降りると駅前が工業団地くらいしか見当たらず何も無さすぎて驚愕してしまったのが前回のレポートだったが、その話にはまだ続きがある。

今度は改札から出て反対側の1号出入口を出ることにしよう。こちら側は駅の北側にあたり、谷町線車両を留置する八尾検車場に近い。しかし…

1号出入口から一歩外に出るとこの光景…なにこれ…本当に何もありませんやん…背後には生駒山地がそびえ立ち、もはや大阪市内に隣接する土地の駅前とは思えない寂寥感が漂っているのである。

八尾南駅の駅裏に広がる異様な空き地の正体…

そもそも改札を出て駅の北側にある1号出入口に辿り着くまでの連絡通路ですらこのお寒い状況。駅開業から40年近くが経つ八尾南駅だが、工業団地として開発された駅前はもとより、こっちの駅裏も全く発展が進んでいない。その理由は駅の外をひと目見ればわかる。

八尾南駅のすぐ北側に広がる異様な空き地…えっ…これが駅前一等地なんですか…と絶句するしかない光景である。実はここは八尾空港の一部だった土地。エプロン(駐機場)として使われていたのが廃止されて、そのまま遊休地になってしまっている。

八尾空港の旧エプロンだった駅裏一帯の土地は昭和59(1984)年に廃止されて以降、今の今まで跡地利用は何ら行われず、てんでさっぱり何の役にも立っていない。だだっ広い空き地が駅前一等地にガラーンと広がるだけという状況。もったいなさすぎないかこれ…

八尾南駅が開業する以前の、昭和50(1975)年に撮影された国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」に公開されている航空写真を見ると、この駅周辺の土地は八尾空港のエプロンを除いて全くの荒れ地でしかなく、駅の南側の工業団地が造成されている途中である事が伺える。

現在もこの旧エプロン跡地は八尾空港の管理する土地になっていて、北側の市営住宅群に抜ける通路を除いた部分は全てフェンスで塞がれ出入りができなくなっている。確かに空港という超一級の「NIMBY」物件だけに跡地利用の難しさがあるのかも知れないが、もう少し何とかならんのかとは思う。

八尾南駅1号出入口から旧エプロン跡の通路を抜けてその北側の住宅地まで行けるのだが、全長600メートルくらいある何もない、こんな寂しい場所を通らなければならない。

この通路を延々と抜けていくとそのすぐ北側には大阪市平野区に属する「市営長吉長原東第四住宅」などの市営住宅や自衛隊宿舎なんかが連なっている。しかしここまで来ると隣の長原駅の方が使い勝手が良くなる。この界隈は以前レポでお伝えしましたね。オネエタレント「はるな愛」の地元です。

しかし旧エプロン跡地と通路を隔てるフェンスはところどころ破られていて不法侵入の跡が見られる件。中に捨てられたままのゴミも酷い。「きれいだね!そう呼ばれたい 八尾のまち」と書かれた啓発看板ももはや皮肉にしか思えない。もう少しちゃんと開発してあげようよ…

せっかくの駅前一等地なのに土地の有効活用は行われていない八尾南駅裏

1号出入口から東側を見下ろすと、こちら側も駅前には八尾市営の駐輪場くらいしか建物はなく、民家や商店の類は通りを挟んだ向こうの一帯まで行かなければ皆無である。駅の北側の八尾市木の本地区からは一応ここが最寄り駅となるので、チャリンコで八尾南駅前に乗り付けてきて、この駐輪場を利用する客は多いようだ。

この駐輪場自体もかなりのキャパシティがある。空港跡地で住宅地や商業地の建設が難しいものと思われるが、せっかく大阪中央環状線や近畿道にも近いのだから、遊ばせてる土地をコインパーキングにでも整備してパークアンドライドを推進すればいいのに、どうなんですかね?

こんな何もない土地なのに駅前だけはいっちょまえに「自転車放置禁止区域」になっているのでそのへんにチャリンコを停めると容赦なく撤去されてしまう。大人しく駐輪場に金を払って停めるべきである。

八尾南駅前の谷町線車庫。ここから天王寺まで20分、谷町四丁目まで26分、東梅田まで35分といったところ。ここがもし首都圏なら「座って乗れる始発駅」を有難がる社畜リーマンが喜んでマンションを買って住んでしまうのだろうが、不幸にも八尾市はホワイトカラー層にはつくづく不人気な土地でしかない。

八尾空港の前身「大阪陸軍航空廠」の格納庫跡が残る一画

そんな寂しすぎる駅前一等地が衝撃的な八尾南駅の駅裏には、かつてこの土地が戦前期に「大正陸軍飛行場」と呼ばれていた頃の名残りを留める貴重な遺構が残されている。当地は戦時中に関西における防空拠点として軍用化が進められ、昭和15(1940)年に軍事用戦闘機の製造・整備工場「大阪陸軍航空廠」が建設されている。

旧エプロン跡地を横断する連絡通路からもよく見える場所に、その当時に建造された戦闘機の格納庫の壁がそのままになっている。ある意味、南海汐見橋線の木津川駅に匹敵する「駅前廃墟」っぷりに驚愕。汐見橋線なんてマイナーな盲腸線でしかなくなっているが、ここは一応ながら大阪市内の地下鉄各線の中で準主役級の路線の駅なんですよ?

昭和8(1933)年に「阪神飛行学校」として民間機パイロットの養成訓練のための飛行場として建設されたのがこの空港の始まりであり、今の八尾空港もまた民間小型機の専用空港として使われ続けている。駅前なのに空港跡地や戦争遺構が見られるワイルドな「八尾南」、なかなかの穴場でございます。


The following two tabs change content below.
DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
トップへ戻る
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.