和歌山の繁華街・ぶらくり丁の片隅にひょっこり残っている戦後のドサクサ感満載のオンボロ酒場横丁「つきじ横町」の中に入ってみることにした。
櫛形の長屋となったつきじ横町の内部に足を踏み入れると、薄暗く空気の淀んだ廊下が奥へと続いている。外観から見ただけでは分からないが、やはり内部の店舗は廃墟化した所が多数あって、寂れっぷりがモロに分かる。
櫛の歯先にあたる部分は雨よけの薄いトタン屋根で覆っているだけなのでかなり明るい。
でも、どこを見回しても全部潰れた店ばっかりなんですが…何年前からこんな状況になったのか、よそ者の我々には知る由もないが。
そんなつきじ横町の始まりは戦後、空襲で焼け野原になった和歌山中心部に出来たバラック酒場街を立ち退かせた後に今の場所に移転して作られたもので、スラムクリアランスの産物。
最盛期は30件ほどの店があり、住友金属などで働いていた労働者のオヤジでさぞかし賑わったらしいが、今では10件もやっていないらしい。和歌山は林業と工業が盛んな県だったが、平成の今になって産業の空洞化は激しい。盛り場も没落する一方だ。
つまり半分以上店が潰れてしまって気の毒な状態になっている訳だが、昭和30年代に出来ただけあって、さすがに寿命が近いのでしょうがない。戦後の風情はそのまんま残っている。
廃墟化したスタンドバーの看板がイカス。開き戸に手を掛ければ今でもガラガラと開いて中から大将の「いらっしゃい」の掛け声と酔っぱらいのカラオケの歌声でも聞こえてきそうな空間。
空き店舗が目立つつきじ横町だが、店の玄関上にはテナントの番号ならぬ「いろはにほへと」が振られている。イマドキのセンスじゃなくて素敵。
廊下の中程につきじ横町事務所の玄関がある。なぜかアコーディオンカーテンみたいなドアになっていて不思議。
このつきじ横町の奥には「梅乃不動」と呼ばれる不動明王像が祀られている。つきじ横町が出来て以来の氏神様というべき存在か。今でも毎年10月になると祭りが行われるらしい。
不動明王像の向かいには猫の額ほどだが自転車置場もちゃんと用意されている。古い飲み屋街だが掃除も行き届いていて比較的清潔なのだ。
そしてつきじ横町の最奥部には、共同便所が置かれていた。小便はそのまま壁に垂れ流すタイプですね。ここも古い事には変わりないけど手入れはちゃんとしている。
ふと通りすがろうとも見逃してしまうであろう、場末の小さな酒場横丁。半分以上は廃墟になりながらも、半世紀以上地元民と交わり合ってきた歴史と、横町を守る人々の愛情が垣間見える場所だ。
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