京都の超有名不法占拠地帯「宇治市伊勢田町ウトロ51番地」に市営住宅が建った

京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地「ウトロ地区」…かつて戦時中、京都飛行場と航空機工場の建設のために集まった朝鮮人労働者の飯場を起源とする在日コリアン集住地域で、終戦後に朝鮮半島に帰国せずそのまま住み着いた一部の朝鮮人労働者が不法占拠状態のまま長らく当地で生活し続けてきた、日本における有名な“戦後処理案件”である。

このウトロ51番地について、大阪DEEP案内は2007年より度々訪問の上、サイトにてレポートを書き綴っている。ウトロ地区の発生経緯や歴史は以前のレポートに詳しく記しているが、70年以上もの長年にわたり問題がこじれまくっていたこの地域に「市営住宅が建つ」という事を聞きつけて、今回はその様子を伺うべく再訪した事を報告したかったのだ。

ウトロ地区問題に韓国政府や韓国国民も動いている

2017年夏、当取材班は再びこの地へ赴いた。ウトロ51番地は近鉄京都線伊勢田駅から西に向かって徒歩15分程度。陸上自衛隊大久保駐屯地のすぐ北側にへばりつくように不良住宅地域が広がっているのは相変わらず。そしてこの「オモニのうた」も相変わらずである。

以前来た時には見かけなかったハングル表記の看板が随分増えていた。併記されている日本語表記が若干間違っているのはご愛嬌だろうか。2015年以降、韓国でもウトロ地区の問題がテレビ報道されるなどして韓国国民の注目を集めたようで、韓国政府の支援や募金活動などが展開されているらしい。

ウトロ51番地、相変わらずの悲しい町並み

しかしそこから「集落」の中に一歩足を踏み入れると、代わり映えもせずみすぼらしい佇まいの家屋や廃屋が立ち並び、生活道路を行き交う、手押し車をヨロヨロと押して歩く住民の姿を見るのみである。ウトロ51番地の高齢化は更に進み、その人口は60世帯、180人にまで減少している。

そんな物悲しい生活道路を抜けると現れる、ハングル看板が掲げられた「南山城同胞生活綜合センター・エルファ」の建物も健在。その名称から見ても、ここは朝鮮総連系の施設である。

同じ関西の在日コリアンがらみの不法占拠事案では大阪空港西隣の伊丹市中村地区の問題が長らくあったが、あちらは市営住宅や工業地域の整備が行われ移転補償が完了しているのに比べると、こちらウトロは牛歩の如く土地改良に時間を要している。

あ~、まだ残ってましたね「喧華上等」(原文ママ)と書かれた間抜けな壁の落書きが…これが果たして何十年前のヤンキーに書かれたものなのか判断もつかないが、今やウトロ51番地に生を受けた若い世代の殆どはこの土地を離れてしまった。

大量の私物が放置されたままになっている、こうした空き家がゴロゴロ見られるのがウトロ51番地の特徴である。ゴーストタウンっぷりは以前よりも酷くなっているかも知れない。

見た目にも廃グレード過ぎるバラック建てのあばら小屋が未だに住居として使用されている壮絶さもさることながら、当地周辺は水はけも悪く、度々大雨などで家が浸水する事も珍しくないというが、不法占拠の後に土地転がしの舞台にもなるなどヤヤコシイ歴史を辿った土地故に住環境が改善される事もなかったわけだ。

市営住宅が建設される予定だという話だったが、ちょっと歩き回っただけではどこがその用地なのか判断に苦しみそうになる。ウトロ51番地ならではの、やたらと入り組んだ路地や土地の使われ方の曖昧さからして余計にそう思わせるものを感じるが、一体この土地が「正常化」するのはいつの時代になるのか。

ウトロ51番地住民向けのゴミ集積場。可燃・不燃・プラスチックくらいの分別はしているようである。民家の壁にそのまんま赤いスプレーで書いている大雑把さが土地柄でしょうか。

地区にそびえる電柱にも「ウトロ」の三文字が刻まれていた。「宇土口」(うとぐち)の読み間違いから始まった地名なんですけど、間違った事を何度も何度も繰り返して言う度に「それは正しい事である」となぜか収まってしまう現象、どこかで見た覚えがありますね。

ウトロ51番地の原型、朝鮮人飯場の残骸

ウトロ51番地には戦後73年が過ぎた現在でも、かつての飯場として使われていたと思しきバラックの作業小屋や敷地が未だにあちこちに残っていて生々しいったらありゃしない。

一方ではゴミ収集車や小型ダンプカー等の現場系車両が多く駐車されたスペースもあり、現在のウトロ51番地住民の職業構成が推察できる光景も見られる。

さらには地区の東側の路地に残っている、ドブ川に鉄板を載せてその上に洗濯機や手洗い場、さらには黄桜酒造の女カッパのイラストが描かれたアルコール自販機の残骸が残る「ザ・飯場」な一画も健在だった。この一画がいつまで現役だったのか、もはや知る由もない。

この飯場の前の路地というのも、見るからにこの通り荒れ果てているのだもの、普通の人間なら近寄りそうもない雰囲気を放っているが、結構住人がバイクやチャリンコなんかで行き来する姿が見られる。未だにここは立派な生活道路なのである。

確かに航空写真なんぞで地区の道路網を観察すると、地区の東側を南北に往来するのにこの獣道のような生活道路が最も近道になっている。飯場の一画以外もこの通り荒れ果てた家屋の残骸なんかもあって、昼間でも足を踏み入れるのを憚られる空気というものは確かにあるのだろう。

…で、ウトロ51番地住民が長年懇願していた「市営住宅」というのは、この獣道のすぐ南側の一画に建設されていたのだ。近鉄伊勢田駅から歩いて来る場合はここが本当に近道なので、もうちょっとどうにかできんものかと考えますけれどもねえ。

2017年末に完成したウトロ51番地の市営住宅

「エルファ」の建物の南側、自衛隊駐屯地に接する道路の奥まったところに、宇治市がウトロ関連の財団から土地を借り上げて建設している市営住宅があった。2017年12月完成、現在は40世帯の住民が入居し、新たな生活を始めている。

傍目から見ればそこはただの市営住宅の建設現場だが、その関係者にとっては特別な感慨をもって受け止められている土地であろうことを示す「KYOTO UJI ISEDA UTORO」と英文で記された張り紙。市営住宅が建設される代わりに、古くから住民が暮らしていた家屋や町並みは続々解体される事になっている。

建設現場にお決まりの掲示物を拝見。「ウトロ地区小規模住宅地区改良事業 公的住宅第1期棟建設建築工事」とある。5階建てで3DK20戸、2DK20戸という内訳である。高齢故に単身世帯が多いものと見られるが、充分過ぎるくらいの環境で、ウトロ51番地住民の殆どが市営住宅への転入を希望したとされる。

現在ウトロ51番地の土地所有者は、今なお3分の2程度がかつて平山桝夫こと許昌九という人物が設立した(土地転がしの後に逃亡)「西日本殖産」という会社のものとなっているが、残り3分の1程度が韓国政府の支援で立てられた「ウトロ一般財団法人」、地元住民が設立した「ウトロ民間基金」といった財団が西日本殖産から購入した土地となっている。(韓国政府によって土地買収資金として30億ウォンが支出されている他、韓国の俳優などによる寄付金も多数投じられているという)

したがって、これらの財団の所有地に関しては不法占拠状態が解消されており、市営住宅の建設計画が立てられるようになったわけだ。

また2016年時点のニュース記事で「ウトロ地区の解体が始まった」旨の内容が出回っているが、現状ではまだまだ全然再開発は進んでいない。市営住宅だけがポコっと建っただけ、と表現した方が近い。

ちなみにウトロ51番地の市営住宅は2019年度中に2号棟が建設され、残る20世帯の住民もそこに転居する手筈となっている。その後は、このようなみすぼらしいあばら家の数々も順次姿を消す事になるのかも知れないが、韓国政府などの支援で集められた資金では手が届かなかったウトロ51番地の土地の3分の2が未だに西日本殖産のものとなっていて、これは手付かずのままなのか、いずれはどうにかするものなのか、今後も成り行きを見守りたい。


The following two tabs change content below.
DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
トップへ戻る
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.