旧生駒トンネルの入口が見える孔舎衛坂駅ホーム遺構、大阪方面ホームの傍らに小さな神社がある。石鳥居の額に「白龍大神」とだけ書かれた以外、この神社が何を示すものか一切書かれていない。
しかしこの神社の存在も旧生駒トンネルと大いに関係があり、工事中の落盤事故や開通後に起きた車両火災及び衝突事故などの犠牲者を慰霊する目的と、生駒トンネルの安全を祈願して建立されたものという。
神社の拝殿は石鳥居を過ぎた正面の山の上にあり、傍らにはお地蔵様や不動明王などが祀られた区画がある。新年を迎えたばかりでまだ供え物が真新しい。
普段は立入禁止となっていてお参りする事もできないはずの神様も、新年のこの時ばかりは姿を拝む事が出来る。旧生駒トンネルは使われなくなったものの、現在も新生駒トンネル及びけいはんな線生駒トンネルの緊急避難通路になっていたりするので、完全に役目を終えた訳ではない。
お地蔵様の傍らに置かれているのは東大阪線生駒トンネルの貫通石。昭和60(1985)年4月17日の日付が刻まれている。新旧交えて現在近鉄の生駒トンネルは3つある事になる。さらに車の通る第二阪奈有料道路の阪奈トンネル上下線も合わせると計5本の長大トンネルが生駒山地をぶち抜いている訳だ。
狛犬が見守る中、正面の階段を登っていくとその先に拝殿がある。近所の住民と思しき初詣客が時折訪れるが、そもそも正月でもなければまず来る事すらままならない特殊な場所なのだ。
階段を登った上にももう一つ石鳥居が。そこにも「白龍大神」と書かれた額が掲げられていた。しめ縄も真新しく、関係者によってこまめに手入れがされている事が伺える。
急斜面の狭い土地の上に拝殿ともう一つ小さな祠が立っていた。
その先は崖っぷちになっている。トンネルの入口は木々に阻まれてここからでは良く見えない。うっかり足を滑らせて落ちてしまわないように。
左側に目をやると旧孔舎衛坂駅ホームと隣接する住宅地が見える。
トンネル開口部を見下ろす場所にも「白龍大神」と書かれた石碑が置かれていた。生駒トンネルが誕生してまもなくまる1世紀、毎日生駒トンネルを通る膨大な数の通勤通学者を乗せた電車が行き来する中、今も密かにこの場所で安全を祈っている人々がいる。