大阪市西成区萩之茶屋、太子およびその周辺一帯に日本最大級の簡易宿泊所密集地帯「ドヤ街」を形成している、通称“あいりん地区”こと釜ヶ崎地域。その歴史の始まりは明治中期であり、元々あった場所から移転させられてきたという事は過去に当サイトでも触れている。明治36(1903)年に開催された「第五回内国勧業博覧会」の会場となった現在の天王寺公園・新世界付近と大阪市中を結ぶ道すがらにあったスラム街を“お上の都合”で強制移転したというのがその理由だ。
釜ヶ崎の前身である「長町スラム」と呼ばれる場所は、何を隠そう現在の日本橋でんでんタウン付近の堺筋沿いにあったのだ。ここは大阪市中に入る南の玄関口でもあり、紀州街道の一部となる堺筋沿いに江戸時代から旅籠がずらりと連なる街が形成され、そこから「長町」という地名が付いた。しかし厳密に言うと、街道沿いの宿場町であった堺筋沿いの裏手に粗末な木賃宿や細民窟が連なっていたらしい。ゆえに「長町裏スラム」と記述している例もみられる。
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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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