日本第二の都市としての座にある「大阪市」について、近代における発展の歴史を紐解いてみると、やはりその始まりは“ベイエリア”である。江戸時代から大阪の海の玄関口だった天保山には明治になって築港大桟橋が置かれ、そこから市内へと伸びる大阪市電は一番最初に敷設されたものだった。まあ、今となってはしょぼくれた下町なんですけれども…
一方で、明治・大正・昭和と近代化の道を歩む大阪市にとって、その発展の裏に潜む暗い一面も存在していた。かつての大阪ベイエリアには「水上スラム」が点在し、沢山の人々が窮屈極まりない船の上で暮らし、それらが密集しては劣悪な住環境を形成していた。艀船員などの港湾労働者の住処として、この地には戦前から全国より仕事を求めて大阪に流れ着いた人々が寄り添い生活をしていた。