高級住宅街・芦屋のすぐ隣に南米タウンが!神戸市東灘区「深江」を歩く

神戸市

関西の数ある街の中で「住みたい街ランキング」の上位に登場する神戸市東灘区の阪急神戸線岡本駅や、関西屈指の高級住宅街の代名詞となっている「芦屋」といった地域の住宅人気の高さは鉄板だが、そんな街のすぐ隣に「お上品な方々」にはとても想像が付かない生活空間が存在している。ペルーやブラジルからの移住者が集まる「南米タウン」があるというのだ。

それが阪神電鉄本線「深江駅」の周辺地域である。ここは東西に長い神戸市街地の最も東の端にあり、すぐ隣は芦屋市との境がある。あの芦屋の隣に南米タウン…にわかには想像しがたい光景であるが、果たして現地はどんな感じなのか、訪れてみた。

深江駅へは梅田から阪神電車に乗って芦屋乗り換えで約25分、三宮からだと魚崎乗り換えで約20分と交通便も良い。徒歩圏にJR神戸線の甲南山手駅もあって競合する事から、朝の通勤時間帯には梅田方面に走る「区間特急」が停車するのが特徴である。近年は連続立体交差事業で駅の高架化工事が絶賛進行中。一応神戸市内だが、住民は三宮よりも大阪・梅田の方が求心力が強いようだ。

条例でパチンコ屋が作れない芦屋市のせいで駅前にパチンコ・パチスロ屋が5軒もある深江駅前

駅周辺は下町臭い商店街も広がっていて、阪神沿線らしいお下品な佇まいのパチンコ屋もあったり、同じエリアでも甲南山手駅から山側と、こちら海側とではこうも街並みが違うのかと驚かされるのだが、ここいらも阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けて多くの建物が失われているので、比較的築年数の浅いマンションが多い。

ところでこの深江駅前、基本的には各停電車しか止まらない上に、商店街と言えるほどの活気もない微妙な風景が広がっているものの、やたらとパチンコ屋ばかりがあるというのが異様である。あの芦屋のすぐ隣だとは思えませんが、むしろ芦屋の隣にあってここは芦屋市ではないというのがその理由だ。


芦屋市は条例でパチンコ屋の建設が一切認められておらず、市内に一軒もパチンコ屋が存在しない代わりに深江駅前には4軒ものパチンコ屋(ヴィクトリー、ウイング21、深江プラザ、ガイア深江店)と1軒のスロット専門店(ヴィクトリースロット館)がある。つまり、たまにはパチンコを打ちたい芦屋市民は市境を越えてこちら深江にやってくるわけで、汚れ役を芦屋市外の深江が押し付けられている格好になっている。

同じ港町である神戸と横浜をどうしても対比してしまう癖が抜けないのだが、横浜の最も東側に南米タウンの鶴見区があるように、神戸の最も東側にも同じようなものがあると知ると、ちょっと因縁めいたものを感じませんかね。パチンコ屋だけは妙に多いが、しかし横浜鶴見のようなスペイン語やポルトガル語の看板が乱立する南米タウンの面影は駅前の雰囲気からは察する事はできない。

深江の南米タウンは国道43号線から海側にある

深江駅前に鎮座する「大日霊女神社」から道路に面した一角に立つ「魚屋道」(ととやみち)の石標。昔から灘と有馬を最短距離で結ぶ街道があった、交通の要衝だったわけですね。

で、この神社の前の道路を海側に歩いて行く通行人を見ると、明らかに南米系の外国人と思える人々がいる事に気づく。どうも深江の南米タウンというのは駅前ではなく、国道43号線で隔てられたもっと海側のエリアにあるようだ。

深江駅から海側に100メートルちょい歩くと速攻で現れる国道43号線。言うまでもなく大阪と神戸を結ぶ都市間交通の大動脈とも言える幹線道路で年中交通量が半端なく排ガス汚染はお察し下さい…な場所。もはや横断歩道もなく歩行者やチャリンコはこちらの歩道橋をもれなく利用する羽目になる。まだスロープとエレベーターがあるだけ人道的ですが…

国道43号線を跨ぐ歩道橋の上からは、足元をバンバン行き交う車が拝める。片側四車線もある上に、頭上には阪神高速3号神戸線も走る。1995年の阪神・淡路大震災で最も象徴的な光景だった、阪神高速の橋脚が折れて高架がなぎ倒されていた場所は、この深江から芦屋方面の635メートルの区間だったのだ。

深江交差点の歩道橋を海側に降りた先にあるマンション、ここが既に南米タウンの始まりである。住人のものか駅利用者のものか不明な自転車が大量に駐輪されている。

このマンションの一角に「CASA DE CARNE BRASILIA」(カーサ・デ・カルネ・ブラジリア)というブラジル・南米食材店が営業しているのだ。店の中を覗き見ると南米系住民が食料品を品定めしている姿が目についた。

さらにその右隣には「EL TRUJILLANITO」というペルー料理レストラン&バーもある。国道43号線で隠された形になった、まさしく知る人ぞ知る神戸の外れのガチ南米タウン、確かに存在していた。

別のマンションの一階部分にも「QUILLA INTI」「INCA HOUSE」という屋号のペルーレストランが連なっている。こんなに異国情緒漂わせてインカ帝国?というほどに局所的にインカコーラ消費率の高そうな地域である。ストリートビューで見ても2015年以前は別の店が入居しているので、ここは最近できたものと見られる。

芦屋市じゃないのにマンション名は「芦屋ウエスト」率が高い

一部インカ帝国化しているこちらのマンションもその名は「バッハレジデンス・アシヤウエスト」ですからね。名前だけ聞くとあの高級住宅街の芦屋ザーマスか!と余所者にはたいそう感心がられそうだが、芦屋市に隣り合っていても住環境的には尼崎の工業地帯とさほど変わらないのが東灘区深江南町になります。

他にも「西芦屋」とか「芦屋西」「芦屋川」といった芦屋でもないのに芦屋を名乗っている詐欺みたいな名前なマンションの多い深江南町だが、こうした市営住宅なんかもあったりするし、ビミョーな佇まいのマンションの玄関先にチャリが大量に置かれているあたり、労働者街の匂いが強いエリアである事は確かだ。

なぜ東灘区深江は南米タウンと化したのか→そこに食品工場地帯があるから

深江駅側からはすっかり隔離された形になっている国道43号線の南側は「東灘区深江南町」に属する一帯で、ここからさらに海側の深江浜町に南米系住民の働き口となる食品工場が密集しているのだ。やはり他の南米タウンと同様、入管法が改正された1990年以降に移住者が増えてきて、現在に至るようだが…

深江浜町には業務用レトルトカレー製造のエムシーシー食品をはじめ、日本製粉(NIPPN)やキユーピー、それにマーガリン製造ではおなじみ、東京は江戸川区東葛西の妙見島に本社がある月島食品工業といった名立たる食品工場の数々が鎮座している、関西における「食」を司る縁の下の力持ち的エリアである。

その食品工場の労働力となっているのが主にこの深江地域で生活をしている日系ブラジル・ペルー人といった南米系住民である。2008年のリーマンショック時にも、同じ南米系住民を労働力としていたトヨタやスバルといった自動車工業が主だった愛知県三河地方や群馬県の南米タウンの住民が仕事を失い帰国の途に就き人口減少を迎えた中でも、この深江の食品工場はその影響を受けず、南米系住民は減るどころか増える一方にあるらしい。

東灘区深江では南米系住民も阪神・淡路大震災の犠牲になっている

90年代から南米系移民が仕事を求めて移り住んできた東灘区深江だが、1995年にこの地を襲った阪神・淡路大震災では、彼らの多くもまた命を落としていた。深江浜町の食品工場地帯を望む「磯島公園」の片隅にはひっそりと地元住民犠牲者を弔う慰霊碑が置かれていた。

慰霊碑の裏側を見ると、当地(深江南町四丁目)で犠牲になった死者20名の氏名が刻まれているが、そのうち6名は南米系住民である。阪神・淡路大震災が改めてどれだけ凄まじい自然災害だったか、20年以上経っても忘れる事はできない。


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