大阪都心に残る奇跡の非戦災地域!超土着アーケード街「空堀商店街」においでやす

どこもかしこも下町ばかり、生活感のどぎついアーケード商店街がそこらじゅうにある大阪市内。あちらこちらで粉物が焼ける匂いが漂い、そのへんのパチンコ屋には日中溜まる生活保護受給者と老人の群れ、小汚い居酒屋からふいに出てくる酔っ払い、下品なスーパー玉出の電飾看板が輝き、禁止されているにも関わらずチャリンコに乗ったまま全速力で駆け抜けるマナーもへったくれもない土着民…特に北摂あたりをありがたがる転勤族にとっては外国そのものの世界で、その文化の隔たりを実感せざるを得ない場面に出くわす事も多いだろう。

だが、そんな他地方出身者であっても文化的なコンフリクトを起こさず、比較的安全に散策できるアーケード商店街というのも、探せばあるにはある。その一つが大阪市中央区、地下鉄谷町六丁目駅近くにある「空堀商店街」だ。

ここはド都心の中央区にある唯一の地域密着型アーケード街でもある。この界隈は空襲を免れた事もあり終戦直後の昭和20(1945)年9月から商店会が結成され、現在も上町台地のてっぺんの東西800メートルにアーケード街が連なっている。どうでもいいけど、谷町筋寄りのアーケードの入り口には「はいからほり」と書かれている。愛称のつもりだろうが、そのネーミングをつけるノリが関西っぽすぎる。

パチンコ屋がない谷六・空堀商店街!大阪市内では珍しい「文教地区」ですよ

谷町筋を挟んで両側にアーケード商店街の入り口が見えているが、東側の「空堀通り商店街」はどちらかと言えばおまけ的な存在で、谷町筋の西側が商店街の中心部分である。ちなみに「空堀」の地名は読んで字の如く大阪城のお堀の一部に水の張っていない空っぽのお堀があった事から来ているが、商店街がある一帯の現在の町名に空堀の字は残っておらず、代わりに「天王寺区空堀町」という地名のある場所はこの商店街から随分離れている。

空堀通り商店街は途中でアーケードが切れており、その東端部は上町筋まで伸びている。ここから東側にある天王寺区側の清水谷町から玉造あたりまでにかけては、実のところ大阪市内屈指の文教地区であり、人によっては“高級住宅街”と評する事もある地域。私立・公立に関わらず有名進学校が集結しているという、大阪でも非常に珍しいお土地柄なのである。

そのような地域の事情を踏まえて、この空堀商店街のアーケードを歩いてみることにしよう。パッと見では一般的な「生活感溢れる大阪の下町商店街」というべき空間であるが、この空堀商店街を含め谷町六丁目駅周辺において、こういう場所ではデフォで見かける「下品なパチンコ屋」が全く存在しない。これは奇跡である。昔はパチンコ屋もあったらしいのだが、随分前に撤退して無くなってしまったのだそうだ。

大阪のアーケード街と言えば「天神橋筋商店街」がもっぱら有名だが、空堀商店街はそれに次ぐ程の存在であるはずなのに、どうも影が薄い感じがするのは当方だけだろうか。しかし映画「プリンセス・トヨトミ」のロケ地にも使われたと言う話を聞けば、ピンと来る人間も少なからずいるかも知れない。

昔ながらの個人商店が集まるばかりか、ちょっとシャレオツなカフェや食い物屋なんぞも混じっていて、中崎町の路地裏カフェが好きそうな女子にもウケそうな感じすらある。大阪市内の、それも梅田や難波のような繁華街でもない場所にオーガニック感満載のカフェ飯屋があったりするんですよ?

空堀を含めた谷町六丁目界隈と言えば、先にも述べた通りに文教地区でもあり、このあたりに住みたがるエリート層も多いはずだが、このへんの築浅マンションの相場を見ても、案の定というか東京都内(但し東側程度)並みにお高いのである。土地持ちでもない限りここで子育て生活ができる世帯というのは、それなりの収入がないと厳しい。

そんな空堀住みのお子様が通う事になる「大阪市立中央小学校」、都心部の人口減少でバブル末期の1991年に4つの小学校が統合して開校した学校になるのだが、都心部のタワマン建設ラッシュで人口が急増し、生徒数が増えまくって色々大変らしい。ここの学区には教育環境に脅威を及ぼす“市営住宅”や家賃の安い賃貸物件が少ないため、住宅人気が集中している。

非戦災地域だからこそ見られる大阪下町の原風景がここに

一方で空堀商店街には昭和の時代から何ら変わる事もない佇まいの古臭い店が多く生き残っていて、今なお古い大阪の庶民生活の片鱗も垣間見える。なんと言ってもこの都心部である事かつ非戦災地域という事が大きい。

もしも空襲で焼けてしまっていれば他と同じ、何ら味気のないビル街にでもなっていた立地だろう。さっきから見ているものが“奇跡の連続”である。そうは思えてはこないだろうか。

全体的にのっぺりした平地ばかりが多い大阪市内でも、アーケード街の途中が坂道になっているような場所は珍しい。空堀商店街自体が上町台地の上にあり、その西側が下り坂になって連なっている。坂道が多いと自転車は使いづらくなるものだが、さすがチャリンコ王国の大阪市内だけあってか、自転車に乗った通行人の姿は非常に多い。

一歩アーケード街の外に出れば、上町台地にかかる起伏の激しい下町路地裏住宅地の風景がすぐに現れる。大阪の都心部でこれだけの生活空間がある場所は空堀を除いて他にはない。この路地裏風景についてもいずれ別の機会で触れたいんですが…

ここはある意味大阪市内で最も保守的な層が住んでいるエリアで、先祖代々住んでます、という“超土着民”が大勢を占めている土地であると思われる。戦前に使っていたような、旧地名が記された昔懐かしの「仁丹看板」が誇らしげに飾られていた。京都では割と見かけるこの町名琺瑯看板、戦災の激しかった大阪市内ではなかなか見つけるのが難しい。

作者が左巻きなことで有名な「美味しんぼ」にも登場する昆布の名店「こんぶ土居」も店構えがやたらと威厳に溢れていて商店街の格を上げている感がある。ここはわざわざ高級昆布や看板商品の「十倍出し」を買い求めて遠方からも客が訪れるほどの場所。

アーケードを少し外れた路地裏にあるお好み焼き屋「ことみ」、老夫婦がひっそりと営む昭和32(1957)年創業の古い土着のお好み焼き屋だが、映画「プリンセス・トヨトミ」にも登場する有名店である。西成やら生野区ならまだしも、こういう店が何の気なしに“大阪市中央区”に残っているのも奇跡的。

けれども見かける「ザ・大阪」的な街並み。どう転んでも大阪は大阪だ

だがしかし、である。いくら文教地区だろうが都心だろうが、ここは大阪市内である事には変わりがないのだ。その証拠に、こんな商店街にもパチンコ屋と見紛う巨大な電飾看板をつけた「スーパー玉出」の店舗がデデーンと鎮座しているのだ。

スーパー玉出空堀店は商店街の西端寄りに店舗を構えている。ここまで来ると上町台地から外れかかった坂道の下の方にあるので、次第に品のない街並みに変わってくる。アーケード街を出た先の松屋町筋からすぐ西側は外国人とアウトローの街「島之内」である。

その他、路上にダンボール箱を並べてキムチや韓国食品を売る「いつもの大阪民国」的な韓国食材店までちゃっかり存在していたり…

潰れた店のボロいトタン壁にベタベタ政党ポスターが貼り付けられまくっていたり…

商店街の坂道を全速力でチャリに乗ったまま駆け降りるオバハンなどを見かけるたびに、この空堀商店街も安定の大阪クオリティぶりを披露していることが垣間見られ、途端に親近感も湧くのである。

さすが大阪クオリティ、商店街の中にヤーさんの事務所がある!

しかしこの空堀商店街で一番の“びっくりスポット”はこちらのお宅ではなかろうか。厳重な金属(ジュラルミン製?)の扉に、まるで阿吽の狛犬の如き厳めしい一対の監視カメラ。ここはかの有名作家、織田作之助の御子孫の自宅…ではない。指定暴力団山口組系のとある組事務所なのである。

山口組の分裂抗争が勃発した2016年7月には対立する神戸山口組系の組織に車を突っ込まれた事もあるこちらの事務所、何の変哲もなく地域に溶け込んでいるのを目の当たりにすると、これ以上ない“大阪のリアル”を噛み締めさせてくれる。

大阪市内でも割とマイルドな商店街であると認識している「空堀商店街」…都合の悪い部分には目を瞑って、まったりとここを散策するのも個人の自由だが、決して気を抜いてはならないのである。やはりどう転んでも大阪は大阪だ…

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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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