京街道・橋本遊郭跡を訪ねる (2) 橋本小金川

京阪橋本駅の京都方面改札を降りて正面を20メートルほど進むと曲がり角の付近に早速遊郭時代の妓楼が現れる。
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橋本遊郭跡は既にここから始まっている。妓楼の建物はその多くが現役で個人宅に使われている事が多く、売防法施行後半世紀が過ぎた今でも取り壊されずに残る建物は手入れが行き届き綺麗な形のままだ。


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線路に面した妓楼の2階部分。欄間の装飾や裸電球の取り付けられた外灯が綺麗に残る。
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1階部分、玄関先にプランター栽培。遊郭時代は遊女達の徒花がそこら中に乱れ咲いていた界隈、すっかり寂しくなった今では植物の花が辛うじて街の片隅に彩りを添えているかのようだ。
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角を曲がると妓楼の正面へ。2階は3間分の広さがあってバルコニーの手すりや欄間の装飾が美しい。本当に売防法施行から50年も経ったのか?と思えるくらいに綺麗な建物だ。
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もしこれが関東だったら八王子田町のように廃屋同然のあばら屋が二、三軒残っていただけで驚愕するレベルだが、さすが古都京都だけあってスケールが違う。まさに京都裏歴史遺産!
橋本遊郭にはこういう妓楼がまだ数十軒残っているのだ。
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玄関先も小奇麗にまとまっている。橋本遊郭廃止後はこれらの妓楼の多くもアパートや旅館に業態変更し、あるいは普通の個人宅となった。
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玄関前の色とりどりのタイルも遊郭ならではのものだ。かなりの数の妓楼があるが、どこの玄関先を見てもタイルの種類や模様が違っている。当時は職人の気合いの入れ方や建物への思い入れも全く違っていたのだろうな。
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さらに少し離れて別の元妓楼を見る。こちらも2階は3間分の広さがある。最盛期には80軒の妓楼に700人の娼妓がいたとの事。今で言う所の飛田新地くらいの勢いがあっただろう。
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遊郭が現存していた時期はこの道を沢山の男どもが歩いていたに違いなかろう。終電間際の京阪電車には橋本駅から大勢乗ってくる男どもの姿があった、なんて話もある。今の閑散とした街の様子からはとても想像できない。
ちなみにこの線路の向かいにある巨大な木造建築は、橋本遊郭の検番跡だったという。遊女ばかりか芸妓さんも抱えていたのだろうか。
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で、そのまま真っ直ぐ行くと突き当たりのT字路になる。その先が橋本遊郭のメインストリートである。それはいいが随分ここらは取り壊された家が多い。そりゃまあ半世紀経った妓楼なんぞは人が住まなくなれば荒れ果てる訳で、しょうがない訳だが。
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取り壊されて空き地になった場所に残る、玄関先。白と空色の市松模様のタイルだけが残っていた。ひび割れていて朽ちるに任せるといった状態で。もったいないですね。
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こういった解体済みの妓楼の名残りのようなものが各所に残っている。現存する建物も多いが取り壊されたものも多い、とにかく橋本遊郭は規模がデカ過ぎるという事だけは分かる。
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気がつけば空き地だらけでうすら寒い風景を晒している場所もある。京都観光に来て祇園だの先斗町だのでその気になっているような場合じゃないぞ。この枯れ果てて行く遊郭の姿こそが京都の素顔なのだ。
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道端には恨めしそうに格子窓からこちらを見つめるお地蔵様の姿が…橋本は江戸時代中期より歴史を刻んだ大遊郭。吉原のように詳しい資料があまり見当たらずよく分からないのだが、沢山の遊女達がこの廓の中で生涯を閉じた事であろう。
行政も遊郭の歴史を封じ込めたいのだろうか、付近には案内看板の類は全く置かれていない。それでは死んだ遊女達が浮かばれないと思うのだが。

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