京都の在日コリアン集住地帯・東九条の川向かい「深草西川原町」の河川敷集落を見る

世界に名だたる日本の観光都市・京都の玄関口である京都駅のすぐ近くにありながらも、さっぱり観光客が立ち寄る事もなく長年廃れた佇まいを残し続けてきた在日コリアン集住地帯「東九条」…そこから鴨川を少し下った一帯にも、あまり知られていないアンダーグラウンドな都市風景が残る場所がある。

やってきたのは地下鉄十条駅にも近い、河原町十条交差点からすぐ東側を流れる鴨川を跨ぐ陶化橋のたもとである。このあたりもギリギリ東九条エリアの中にあって、川沿いには市営住宅も多く立ち並ぶ一帯。2011年に開通した阪神高速8号京都線の真新しい高架橋がそこに並んで架かっている。

目の前を流れる鴨川越しにその川向こうに目をやると、何やら河川敷に面した土手の並びに古びた民家が何軒も並んでいるのが見えるのだ。川の手前のこちら側は京都市南区にあたるが、あちら側は伏見区にあたる。地図で確認すると「深草西川原町」という町名がついている。

在日コリアン街・東九条の外れの河川敷集落へ

陶化橋を渡った先の土手沿いの道に入る。バカ正直に車道に沿って行くとこの場所には辿り着けない。途中で脇道に逸れて見ての通りの砂利道に足を踏み入れることになる。あからさまにこの一帯だけ公共インフラの整備から外されている。もうこの時点でアウトサイダー感満載なのであるが、既にウトロ地区衣笠開キ町の砂防ダム集落などを見慣れている当方からすればこのくらいではもはや驚かなくなってしまった。京都恐るべしである。

長さ150メートルも行かない、そんな河川敷ビューの砂利道に民家が数軒ずらりと列を成して建てられている。規模としては大した事もなく、そのせいで今まで見向きもされていなかったのだろう。雰囲気的には愛媛県今治市にある蒼社川沿いの河川敷集落に非常に近い印象がある。

建物全体が半ば緑に覆われてしまった、非常に野趣溢れるDIY的平屋建て住居もある。戦後のドサクサで着の身着のままで建てましたといった感じすら漂うわけだが、給湯器や外付けの洗濯機こそはあれど、夏暑く冬寒い京都盆地の厳しい気候で、しかも冬場は寒風吹きすさぶ河川敷沿いであるにも関わらず全面トタンと板葺きでこしらえたという男前過ぎる住環境に思わず小便が近くなりそうだ。

そんなバラック住居から砂利道を挟んだ向かいには居住者の洗濯スペースや私物が大量に置かれた一画があり、この2019年、平成の世も終わろうとしている時代にまで「昭和の貧しさ」をそのまま引きずった生活空間が残っている事に驚嘆する他ない。

居住者のものと思しき洗濯後の靴下が大量に干されている他、なぜか茶器一式(韓国製?)まで置かれている始末。こう見えても優雅なリバーサイド生活を満喫しているのだろうか。ちなみに鴨川を挟んだ向かいの阪神高速8号京都線の下には「勧進橋児童公園」があり、この公園の不法占用問題で一悶着の末に移転した「京都朝鮮第一初級学校」もあった。色々と因縁深い土地なのである。

地図上で深草西川原町のこの場所を見ると、鉄工所、それから“○○商事”と看板を掲げるお宅、そして建設会社のプレハブなんかも建っているのが見られる。あとは土手の外側の低地にも僅かながら住宅地があるが、そこにも建設業者の看板を掲げるお宅がある。

特に鉄工所と思しき一画は河川敷側に足場を架設した上で作業場やガレージに使用しているなど、土地の有効活用ぶりも伺える。逞しく“戦後の日本”を生きてきた先人の知恵を肌身で体感することができる、ある意味貴重な空間だ。

やはり深草西川原町の河川敷集落も在日コリアン集住地のようだ

これまでこの土地はどのような歴史を歩んできたのか、そう簡単に知る事もできないが、ただ一点「深草西川原町」の地名でヒットしたのは京都大学人文科学研究所のサイトにアップされている「戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索」のページにあった『伏見の火事(深草西川原町、朝鮮人屑商宅から出火延焼)』 大阪朝日 1937/12/13 京版 〔7/11〕 京都伏見区・京都 【火災】』という記載である。

その通り、昭和12(1937)年12月に深草西川原町にあった朝鮮人屑商宅の火災が実在の出来事であるということであれば、このエリアもまた戦前期より在日コリアンが暮らしていたという証拠にほかならない。よく見りゃ韓国の民族衣装を着た男女の人形までこれ見よがしに置かれているしですな…

そして深草西川原町の河川敷集落には決定的な物件が存在している。在日コリアン系の「京都平和キリスト教会」がこの地にあるのだ。同教会のホームページによれば、元々は1995年に京都駅八条口近くの東九条西山王町にあったものが2003年10月にこちらに移転してきて以来のものらしく、それほど古いものではなかった。

東九条もまた関西における在日コリアン社会の縮図であることはよく承知してはいるが、よもや鴨川の向かいの伏見区側までこのような街並みが残っていようとは…しかし下町民のキティちゃん好きは凄いですよね。伊丹の桑津でも似たようなものを見ましたけれども、何なのでしょうこれ。

ところでこの河川敷集落の土手道メインストリート、その南側の入り口となる勧進橋のたもとからの脇道にはこのような看板まで建っている。「この通路は、河川管理通路です。一般車両の通行はご遠慮下さい。 京都府京都土木事務所」だって。そんな殺生な。ここを通らないとお家に帰れない人達がいるんですよ。

改めて、地区の南側の一画から深草西川原町の河川敷集落を振り返る。特に鉄工所の足場は不法占拠にはあたらないのだろうか。京都土木事務所に問い合わせてみると面白い答えが帰ってくるかも知れないので興味ある方は試してみてはいかがか。

まだまだ京都には知られざるアングラ地帯が存在するようである。我々大阪DEEP案内取材班も地道に追い続けていきたい所存である。


The following two tabs change content below.
DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
トップへ戻る
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.