金魚田と遊郭跡の「大和郡山」 (2) 洞泉寺町<前編>

奈良市木辻町と大和郡山市の洞泉寺町、東岡町の三ヶ所がいわゆる「奈良三大遊郭」と呼ばれている場所だ。いずれも歴史は古いが昭和33(1958)年の売防法施行とともに歴史の表舞台から消え去ってしまった。
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洞泉寺町に入ると未だに遊郭時代の妓楼が何軒も普通に残っているのだ。
地名にもある洞泉寺の門前町として遊郭が形成されている辺りは何となく生駒の宝山寺に通じるものを感じるが、こっちは100年以上も前に建てられた妓楼が取り壊されずにしかも綺麗な形で残っている所に歴史的重要性がある。


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妓楼の建物脇には小さく「源九郎稲荷神社参道」の案内が貼りつけられていた。これも洞泉寺町の遊郭関係者の深い信仰を集めた神社だが、日本三大稲荷の一つに数えられる由緒ある神社。
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洞泉寺町の遊郭はその一軒一軒がでかい。2階建てのものもあるが中には3階建ての妓楼まである。2階部分は一面細縦格子で覆われていて軒下から当時のままの灯りが吊り下げられている。
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これらの妓楼は現在普通の民家に転用されているか、もしくは空き家となってしまっているものが多い。
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路地の奥へ入ると半分くらいは建て替えられて普通の家に変わっている反面、遊郭時代そのままの家も多い。遊郭跡は往々にして歴史の闇に封じられるように建物も朽ちてしまうが、洞泉寺町の場合は手入れが非常に行き届いていて、例え空き家であっても荒れている様子は全く見受けられない。
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突き当たりに3階建ての物凄く立派過ぎる妓楼がそびえている。旧川本家住宅
といい、この建物に限っては大和郡山市が買い取って建物の保全を行っている。この建物の周囲は右側に浄慶寺、左側に大信寺、真裏に養源寺と三つの寺院に包囲されている。
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ここもやはり建物の外観一面が細縦格子でびっしり覆われていて、なんとも非日常感を演出しているのだ。江戸時代の遊郭はまさしくこんな雰囲気だったのだろうと思わせるに充分な貫禄だ。
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ただし横側から見ると素っ気ないトタン板でサイディングされているので、正面から見るのが一番カッコイイ。大正11年に建てられ築90年そこそこ。横の壁はボロボロになってしまっていたらしく後から改修されたようだ。
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旧川本家住宅に隣接して大信寺の墓地がある。境内に入る事にする。
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墓地から旧川本家の横っ面がずらりと拝める。正面の3階建て母屋の他、中庭を挟んだ奥に2階建ての別棟を構えていて、かなり内部は広いようだ。
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建物の隙間を繋ぐ一部分にはハート型の穴が開いた意味深な漆喰壁が見えている。「古今東西風俗散歩」の写真ではこの漆喰壁も一部崩落していたので、やっぱり最近になって改修されている。
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横っ面は一面無粋なトタン板で覆われていて残念な感じだが、建物保全の為にはやむなしである。実は先日見学会も行われ中の様子が見られる機会があったのだが、普段はいきなり行っても外観しか見られません。
大和郡山市の商工観光課に見学の相談をすれば団体で受け付けてくれるらしい。
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遊郭のど真ん中に佇む寺の墓場…なんとも因縁を感じさせるロケーションだが、やっぱり遊女の無縁墓がこの中にひっそり紛れているのだろうか。

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