重工業地帯アイランド大正区最南端の街「南恩加島・大運橋通」にある激寂れ商店街

大阪市大正区

沖縄出身者とその子孫が多数暮らす大阪ベイエリアの工業地帯アイランド「大正区」を巡るレポート、前回まではサンクス平尾商店街とその周辺の街並みを見て回ったが、今回はその南隣にある南恩加島地区を見て回る。こちらも同様にウチナー密度の高い下町である。

大正区内の約4キロの区間を南北に貫く「大正通」を通るバスに乗ると、その最も南側にあたるのが南恩加島。「大運橋通」バス停で下車。大正通は大運橋交差点で西に折れ、同じ大正区の離れ島となっている鶴町方面に伸びている。

排ガス臭の蔓延する大正区最南端の街から“めんそーれ”

大正通がL字に折れ曲がる大運橋交差点の角に立つと、ダンプだのタンクローリーだのの大型車がわんさか往来し、排ガスで汚れた空気を目一杯呼吸器官に吸い込む事になる。今でこそマシにはなったのだろうが、昭和の時代には工場の煤煙なども加わりもっと凄まじい公害をもたらしていたであろう。

大運橋交差点から南は木津川運河を隔てて船町という全域重工業地帯になっている離れ島があり中山製鋼所や日立造船などの大工場で占められている。元々は木津川飛行場があった土地だ。松田優作の遺作となったアメリカ映画「ブラック・レイン」のロケにも使われた、見ての通りのガチな風景。

大正駅方面の大運橋バス停の目の前にある「ゆぽぽ大運橋温泉」、大正区最果ての工業地帯勤めの労働者たちが仕事の後の汗を流すリフレッシュスポットといったところか。大運橋交差点付近には個人経営のビジネスホテルもある。駅から遠すぎる故に出張リーマンにとっての需要がまだあるんですかね。

バス停の目の前には地元のオジサン連中の溜まり場にしかなってなさそうなローカル感溢れる飲食テナントも立ち並ぶ。「キッチンパブ愛してナイト」…ネーミングセンスにも昭和感溢れてますよ。

南恩加島にある二つの商店街…の残骸

大運橋通バス停付近には、大正通りを跨いで二つの商店街が伸びている。東側に「大運橋本通商店街」、西側には「大運橋西商店会」。ただ前者の商店街は通りに面した部分に設置されていたはずの、この看板が外されている。寂れ過ぎて商店街の組織が維持できなくなった結果かも知れない。

大運橋本通商店街と名乗っていたはずの寂れまくり状態の商店街、入ってみるとこの通り、オワコンもいいところである。買い物客の姿などもおらず閑散としているが、商店街らしく「7時から20時まで歩行者専用」の通行規制は未だ有効である。

よくよく見れば眼鏡屋や美容室、タバコ屋なんかがちょろっと商売しているくらいだ。大半の店舗は商売を辞めて、普通の民家に建て変わっている箇所も目立つ。 これではもはや“商店街”とは呼べるものではない。

街の新陳代謝が無くなった感満載なんですけれども、昔懐かしい佇まいの牛乳屋だの大衆食堂だの紳士服店だのの個人商店の残骸がよく残っているのは逆に貴重かも知れない。「ブラック・レイン」や「純と愛」の好例を元に、大正区はもっとドラマや映画のロケ地として名乗りあげるべきである。


しかしこちらの「三和食堂」…店のテント屋根がボロボロ過ぎるんですけれども、食堂と書かれた暖簾が下がったままになってます。営業しているんでしょうかこれ。

かつての商店街の境目となっていたであろう、足元の舗装が途切れるあたりのところで一軒の食料品店が店を構えている。果物やら菓子類やらもあれば日用品・文房具の取り扱いもやっている、まるで離島や僻地の売店のような佇まいである。

その店先では地元民と思しきご老人達が暇潰しにとガッツリ将棋を指して真剣勝負に臨んでいる。この商店街を越した東側には、最近韓国と徴用工問題で大揉めになっている新日鐵住金の傘下にある地元鉄鋼メーカー「大阪製鐵」の広大な製鉄工場があるが、2016年3月で製鋼工程を休止し堺工場に機能をシフトした。大正区はますます不景気ですね…また大正区と西成区を隔てる木津川を跨ぐ“めがね橋”こと千本松大橋がある。

また大正通まで戻って今度は西側の「大運橋西商店会」へ入るも、こちら側の方がより一層寂れっぷりが酷くなっていた。大正区自体、大阪市内でも特に人口減少が激しいエリアになっているが、この界隈が最も空洞化が激しいのではなかろうか。

昔はかなりガチな生活空間であっただろう事を匂わせる、廃業した古い佇まいの「焼肉きみちゃん」の店先。差別と貧困に喘ぐ末端の労働者層が肩を寄せ合って暮らしていた街並みが、今でも辛うじて見られる場所だ。まだまだ南恩加島の探索レポには続きがあるが、長くなりすぎるので次回へ。


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