千林商店街のアーケードを外れ、再度トポス跡のパチンコ屋まで戻ってきた。
このパチンコ屋の周辺も戦災を受けていないエリアなので戦前から残る家屋が多く、見応えのある街並みが随所に残る。
パチンコ屋の建物をぐるりと北側に回り込むと同じくパチ屋の駐輪場となった空き地が並び何ともやりきれない風景だが、その先の住宅地に入っていくと素敵な住宅が残っていた。
何の変哲もない下町の一角に、明らかに戦前建築と思われる立派な瓦屋根の長屋が連なっていた。
横幅50メートルくらいで、二棟の長屋が規則正しい門構えで並んでいる。貧乏臭い「文化住宅」ばかりと思っていた大阪の下町にこんな気品溢れる集合住宅が残っていようとは、まだまだ捨てたものではないな大阪も。
長屋のそばに立って路地に沿って眺めると、なかなか迫力のある風景である。路地にはひっきりなしに買い物の行き帰りに通り抜ける「大阪のおばちゃん」あり。
二棟続きの長屋は商店街に近い西側に4軒、東側には5軒の家屋が並んでいる。非戦災地区とはいえ目立ってレトロなのはこの長屋くらいで、他は概ね建て替えられたりしていて風情が損なわれているのが残念。
二棟並んだ間の隙間がちょうど家主さんの自宅となっている模様。建物裏に家主宅があって、住宅の間がアプローチになっていた。
建物には高級な国産檜に銅板、三河の瓦にタイルがふんだんに使われた和洋折衷スタイル。昭和12(1937)年築との事で築70年以上になる訳だが、古さを全く感じさせる事はない。
地図を見て気付いたが、京阪電車が路面電車だった頃の廃線跡をこの建物がかすめている。路面電車が高架化されたのが昭和6(1931)年の事。
窓枠と庇に嵌め込まれた銅板も鮮やかな青銅色を発していて建物の風合いを引き出している。細かいタイル貼りの壁もアクセントになってますね。
今でも住宅として使われてもいるが、一部は古民家レトロカフェとして営業している部屋もある。中崎町や空堀のようなアートな若者がこぞって「オサレトロ」なノリになるとまた違うような気もするが、千林に限ってはまだまだ素の表情を保っている。
近所には昔から残されたままの石畳の路地まであるが、周りの建物はすっかり建て替わってしまい石畳だけがぽつんとあるだけ。あまつさえ家並みの向こう側にはスーパー玉出のド派手な電飾看板が現れて、いよいよ大阪の良心であるこの土地にもDQN化の波が迫り来るかのようだ。