【松下電器産業】福島区大開・野田阪神にある「松下幸之助創業の地」を巡る【パナソニック】

大阪市福島区

梅田から阪神電車で僅か二駅隣にある「野田駅」で降りる。ここはJR大阪環状線野田駅と区別するためか「野田阪神」と呼ばれる街でもあるのだが、私鉄の社名が頭ではなくケツにくっついた呼び名が地名として定着する例は珍しい。

そんな野田阪神という地域、今や世界に誇る日本の家電ブランド「Panasonic」、もとい松下電器産業の創業者である松下幸之助が初めて創業した土地でもあり、地元民はその事を誇らしげにアピールしているのにさっぱり全然知られないので、仕方なく当サイトでご紹介させて頂くことにする。

野田阪神本通という味わい深い下町商店街

阪神野田駅・地下鉄千日前線野田阪神駅を降りた目の前にある「野田阪神本通商店街」の入口に「松下幸之助創業の地 記念碑」とくどくどしく書かれた看板があるので入っていく。住所で言えば「福島区大開」になる一帯だが、こちら側は同じ駅前のアーケード街「野田新橋筋商店街」のような賑やかさはない。

しかし少し商店街を歩くとなにやら癖の強そうな佇まいの喫茶店や大衆食堂などが続々と姿を表す、なかなか侮れない土着っぷりを晒している。「珈琲亭 珈琥」に「古古食堂」ですか。

和・洋・中なんでもいけます、なにわの大衆食堂「のだ食堂園」。すじカレー600円、冷麺(大阪では冷やし中華のことです)700円などなど、気取らぬ飾らぬ下町価格。


「世界の松下」と呼ばれたグローバル企業が初めて芽を生やしたこの地をこれでもかと自慢するかの如く、野田阪神本通商店街は「なにわの出世街道」を自称して、松下幸之助の自伝にある格言の数々を商店街内のいたる所に掲示しまくっている。「成功するまで続けて成功」、はい復唱!代官山のスタバでドヤ顔Macしている意識高い系は大阪に来て松下幸之助の爪の垢でも煎じて飲め。

いつしか大阪は努力して成功を収める人間よりも成り行き任せに自堕落に生きてナマポをもらいながら酒を呑んだくれる、ろくでもない大人ばかりしか残らない街になってしまいました。この商店街でも見られる「いつもの大阪」でございます。

酒呑みの皆さん、上田温酒場がありますよ

その後もイケないアルコールの誘惑が次々と襲いかかる「なにわの出世街道」。今度は「上田温酒場」(うえだおんしゅじょう)という昭和12(1937)年創業、大阪市内屈指の超老舗酒場が登場。結局ここも酒呑みストリートやないかい!

ここは知る人ぞ知る、吉田類を崇拝し「お酒をこよなく愛する」などとSNSのプロフィールに書いちゃうような下町酒呑みクラスタ御用達店。関西では「関東煮」(かんとうだき)と呼ぶ、おでんが名物の店ですわな。夕方5時からオープンなので、まだ暖簾は掛かっていなかった。福島区は西成のように朝っぱらからやってる酒場があるような、締まりのない街ではない。

路地裏に入るといきなり韓国民団

なにわの出世街道も脇道に入ると素朴なせせこましい下町の住宅街といったところで、特に福島区は大阪大空襲の被害が少なく、区内の7割が非戦災地域である。この界隈も戦前からの街並みがそのまま残っている。路地裏の鍼灸院の看板に書かれている「やいと」を見て、ここは関西である事を再認識する。

…と思ったら、路地裏に唐突として現れる「在日本大韓民国民団福島支部」の事務所。このへんで在日コリアンと言えば中津や中崎町あたりに多いことは知っていたが、野田阪神にも民団の事務所があったとは。

韓国語講座などを行っているのは知っているが、婚活サポートまで韓国民団がやってるのか。コリアルーツ(国籍不問)の縁結びを韓国民団の近畿各府県本部が、お手伝いします、だそうです。そう言えばマスコミを賑わしたボクシング連盟前会長のアボジはどこで再婚相手を見つけたのだろうか思い出したが、確か今里新地のクラブのママでしたね。

松下幸之助創業の地を見てみよう。全部で4つあります

上田温酒場の先の路地を右に折れると、その先の住宅地に「松下幸之助創業の家跡」と記された一画がある。今となってはただの住宅地でしかない。

その家の向かい、西野田工科高等学校のフェンスに1つ目の“創業の地”看板が。大正7(1918)年3月7日、松下幸之助は当地で「松下電器器具製作所」を創立、借家の一階を工場に改造し、細々と電気器具の製造を行っていた。「改良アタッチメントプラグ」が最初のヒット商品だったんすね。

続いて、上田温酒場の先に進むと左手側に現れる銭湯「八坂温泉」の前、ここに2つ目の“創業の地”看板が掲げられている。

大正11(1922)年には手狭になった最初の工場から当地に100坪の新工場を建設し、ソケットやランプの製造を始め従業員数も50名を超す企業になった、さらに松下幸之助は終生この地に本籍を置いていたと案内板に説明がある。

そんな松下幸之助の起業家精神を今に受け継いでますよ的に“100年の伝統”をアピールする「大阪府立西野田工科高等学校」。明治40(1907)年創立なので100年どころか「110年の伝統」ですね。大阪府内屈指の歴史を誇る工業高校であるが偏差値は39。卒業生は軒並み町工場の工員として活躍されているのでしょうが、第二のパナソニックの生みの親となりそうな逸材はなかなか現れないようだ。

松下幸之助創業の地巡り、3つ目のポイントは西野田工科高等学校の北東にある「大開公園」。ほんの小さな公園でしかないが、その一角に堂々と鎮座する記念碑が、紛れもなく日本発のグローバル企業・パナソニックが産声を上げた地であることを示している。

記念碑の裏側にも松下幸之助の言葉が刻まれている。「道」…一瞬アントニオ猪木かよと思いそうになったが「迷わず行けよ、行けばわかるさ」と北朝鮮に行っちゃう人の言葉よりも、まだこっちの方が意味がわかりやすかったです。

最後の4つ目のポイントは、先程の八坂温泉からもう少し先に進んで大通りを渡った向かいのこちらの工場の建物にある。

こちらは大正14(1925)年にランプ組立工場を建設した土地になる。初めて「ナショナル」の商標を用いた角型ランプもこの工場で製造されていた。今では使われなくなった、同社の白物家電「ナショナルブランド」発祥の地であると言える。その後、現在のパナソニック株式会社の本社所在地となる門真市に大型工場を建設して移転したのは昭和8(1933)年の事である。


 

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