【大阪人も知らない大阪】大阪市の最果て「西淀川区中島」には何があるのか【続・ニシヨドスタン】

大阪市西淀川区

今からはるか昔の江戸時代「江戸の八百八町」だとか「京都の八百八寺」だとか、その都市に多いものの特徴を例えた古い表現がある。かつての大阪は「浪華の八百八橋」と呼ばれ、町人達が自腹を切る事も厭わず自分達の生活や商売のために街のあちこちに橋を架けた事から、そういう呼び名が付いたという。しかし現在の大阪市中心部にあった橋が架かる川の数々も今となってはその大半が埋め立てられていて、地名だけしか残っていない場所も多い。

時代は変わって令和の大阪市街地で、そんな「川と橋」が住民の生活線上に当たり前に存在しているのが、市内西部の所謂「大阪ベイエリア」。四方を運河と海に囲まれ“島”状態になった“ガラパゴス”的な地域があちこち点在する。そこで以前訪問した大正区の「難波島」に続いて今回お伝えするのは、「西淀川区中島」という場所。皆様御存知でしょうか?“淀川区西中島”とちゃいますよ?

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