【尼崎市】アマの最果てにも昭和の市営住宅が!「西昆陽宮ノ北団地」を歩く

人口46万人を数える、かつて阪神工業地帯の中心として栄えた街「尼崎市」も、今となっては労働者世帯がこぞって高齢化するなどしてすっかり福祉の街に姿を変えてしまっている。そんな“アマ”と言えば工業地帯や競艇場のある海側を思い浮かべる事も多いが、市の北端部、伊丹市に接するエリアには、あまり足を運ぶきっかけもない。

というわけで、尼崎市の北の端っこには何があるのか気になったので、市北西部にある「西昆陽」という地域に足を運んだ。「昆陽」(こや)という地名を聞くと、昆陽池公園なんかもある伊丹市の土地かと思いきや、この西昆陽は伊丹市に接してはいるものの、なぜかここだけ尼崎市という不自然な地域となっている。

この場所に向かうためには、阪急神戸線武庫之荘駅から路線バスに乗って20分ほど揺られなければならない。生活圏的には伊丹市寄りで阪急沿線が身近であるが、運行しているバスは阪神バスである。大阪・梅田からの所要時間は1時間近い。自家用車がなければ超絶不便である。

この尼崎市の最北端である西昆陽の最も最果てには、なんと市営住宅が連なる団地が存在している。「宮ノ北団地」行きのバスに乗ればたどり着く終点の停留所、そこを降りれば目の前には昭和のまんまの空間が広がる。

周囲を伊丹市に囲まれた、尼崎市最北部にある「西昆陽宮ノ北団地」

西昆陽宮ノ北団地は尼崎市によって昭和40年代から建設されてきた市営住宅群の一つである。近隣の昆陽の台団地や、先日レポをお伝えした尼宝市場近くの時友団地も、当時の尼崎市への労働者世帯流入に伴って同じ年代に建設されたものであろう。

宮ノ北団地のメインストリートはすっかり成長した並木道が整然となっていて、見た感じはそれほど陰鬱な印象も与えない。5階建ての中層棟が30棟近くも並んでいる。人口もそれなりには多いはずだが、道行く通行人はみな高齢者ばかりである。

この宮ノ北団地がある土地のすぐ西側に隣接して武庫川が流れている。当方が勝手に「アマの極北団地」と呼んでいる旧守部村、南武庫之荘十~十二丁目にある「市営南武庫之荘改良住宅」からも直線距離で4キロは北、つまり上流側に離れている。武庫川河口部からは10キロオーバーだ。

南武庫之荘の旧守部村は武庫川の河川改修工事で戦前期から多くの朝鮮人労働者が移住した地域だが、この西昆陽も同じ武庫川沿いという事なら、何か共通項がないものかと思ったのがこの土地に導かれたきっかけだ。

宮ノ北団地の住居棟もまた空き家の多さも目立つし建物のオンボロ具合から見た目にも貧しさが漂っているいつもの市営住宅っぷりだが、大阪市内の一部地域で見られるような中国人世帯が増えているという様子が見当たらない。ベランダに巨大パラボラアンテナを置いたお宅も見かけなかった。

各住居棟の前に駐車場スペースがちゃんと置かれているのは、鉄道駅から遠い当地ならではの配慮だろうが、確かに自家用車さえあれば伊丹市街地にすぐ買い物に行けるし、「イオンモール伊丹昆陽」へ行くならチャリンコでも充分近い。

団地のすぐ東側は水路一本隔てて伊丹市との市境になっていて、伊丹市池尻といった地名になっている。ただ市境ということでインフラ整備がちぐはぐで、車で市境を跨ぐルートを探すのが難しく、結局国道171号に出る羽目になる。

尼崎市営住宅の年代モノ物件にあるあるな屋上の真ん丸な受水槽、同じ市営の今北団地や時友団地でも見かけたのと同じタイプだ。宇宙人が侵略してきたのかと思うようなデザインですが、宇宙人並みに価値観が異なる某三色旗教団に既に侵略されているオチである。

建築年度の古さは何よりも団地の土台に据え付けられた定礎板が物語っている。昭和41(1966)年だったり昭和43(1968)年だったり、もう半世紀オーバー物件ですよ。それらが建った当時は周りに農地しかないド田舎だったはずの土地だ。

かつては往々にして荒れ果てた住環境だったと思しき現実を見せつけるかのように佇む「爆音暴走追放 許すな!爆音暴走」と書かれた尼崎北警察署の立て看板。さぞかしDQNやヤンキーが暴れ回っていた貧困地域の姿が思い浮かぶが、今となっては老人しか住んでない大人しい地域といった印象以上のものは感じない。

団地のメインストリートを突き当たると、そこには路線バスや一般車両が転回できるようロータリーが設けられている。ここが本当の尼崎市の最北端。すぐ隣はもう伊丹市だ。

しかし以前は武庫川を挟んだ西側一帯の「西宮市田近野町」も同じ尼崎市の市域に含まれていて飛び地状態になっていたのが昭和44(1969)年に西宮市の飛び地だった武庫川河口部の「尼崎市平左衛門町」と市域交換が行われ、飛び地状態が解消している。

古びた佇まいの団地の給水塔には、ここが尼崎市であることを示す市章がデーンと掲げられている。この西昆陽地区だけがなぜ尼崎市なのか、結局よくわからずじまいなんですけれども。

案の定、老朽化激しくお見受けする西昆陽宮ノ北団地は建替事業が行われている最中で、事業完了後は真新しい高層棟や戸建て区域に加えて開放的な公園も設けられる予定になっているらしい。

近所にもう一ヶ所ある、アマ最北端の市営住宅群

西昆陽宮ノ北団地から少し手前側にはもう一ヶ所「昆陽の台団地」「西昆陽団地」という名称の市営住宅群が広がっている。規模的には大型の11階建て高層棟が1つと5階建て中層棟が6つあるだけの団地だが、ここも見た感じ建築年代の古さを感じる。

市営昆陽の台団地の内部はツインコリダー型で中央にデデーンと大きな吹き抜けがあるタイプだった。時折住民の高齢者やド金髪のヤンママを見かける程度で、生活音もそれほど感じない、すっかり寂れきった空間になっていた。

ちなみに川向こうの西宮市田近野町に関連して、当地について古くは田近村と呼ばれていたそうで、市営住宅の外にある西昆陽地区の古い一軒家なんかを見るとみんな表札の名前が「田近」姓となっていて、興味深い。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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