【東淀川区】日本で唯一の戦後のドサクサ住居遺産「西淡路高射砲陣地跡住宅」を見る

第二次世界大戦中、戦況が悪化し空襲の脅威が迫った時期、日本各地の都市において爆撃機の襲来に対峙すべく建てられた「高射砲陣地」は戦後70年以上が過ぎた現在も全国に点在しているが、JR新大阪駅にも程近い東淀川区の住宅街の一画に、この高射砲陣地をそのまま「住居」にしてしまったというとんでもない家がある。

そのお宅は阪急京都線淡路駅、JR京都線東淀川駅からそれぞれ徒歩10分ほどの場所にある、西淡路五丁目の住宅地の一角にそびえている。近年立ち退きによる解体が進んでおり、この奇妙なお宅もいつ見られなくなるか分からない。

高射砲陣地跡を戦後のドサクサで住宅にしてしまった大阪の唯一無二物件

かつて高射砲陣地として使われていた頃のコンクリート地がそのままむき出しになった姿、それは本来の役目ではない個人の住宅として刻んだ歴史の方がむしろずっと長い。住民が後付けで外階段から登れるようにこしらえた砲台の上にはもうもうと草木が生い茂り、屋上のテラスとして使われていたようだ。

国土地理院HPより、昭和23(1948)年の航空写真

国土地理院サイトで閲覧可能な昭和23(1948)年撮影の当地付近の航空写真を見てみよう。戦況悪化を辿っていた昭和19(1944)年に建てられた六基のコンクリート製砲台が北向きで扇形に並び、その南側にある同じくコンクリート製二階建ての指揮所と弾薬庫で構成されている。建設当時の地名は「東淀川区国次町」である。

件の高射砲陣地跡住宅を2007年当時に見に行った時、その遠景を撮影した写真がこれである。既に周囲はマンションが立ち並び、肝心の高射砲陣地跡も植栽に紛れ込んで視認しづらくなっている。高射砲陣地跡のすぐ東側には市営住宅も立ち並んでいる。

当初は六基あった高射砲陣地跡だが1992年にマンション建設で東側の二基が取り壊されており、我々が最初に訪れた2007年の時点では四基が残っていたが、2012年にはさらにそのうち二基が解体されている。現在のところ二基が残っているはずだが、うち最も西側の一基は工場の一部と一体化しており完全に他の住宅に囲まれてしまい外部から見える状況ではない。

高射砲陣地跡は長年工事が止まっている「市道十三吹田線」の道路予定地と一部被っている。戦後の昭和25(1950)年から長らく計画があったが、70年近く経つ現在でも全く用地買収が進んでいない。高射砲陣地跡のすぐ北側を見ると本来道路になるはずの土地が児童公園となっているが、管理状態はあまり宜しくない。

2017年の時点では、外部から見物できる最後の一基となった高射砲陣地跡のお宅は既に空き家と化してしまい、かつての玄関前には大阪市が設置した緑色のフェンスで取り囲まれていた。雑草も伸び放題になっていて、もはや役目を終えたかのような佇まいだ。

コンクリート製の砲台を取り囲むように平屋建ての家屋が一体化している。屋根も壁もトタンで葺いただけの簡易な造りをしているが、ガレージまで完備していて、傍目には「ワクワクする造りの家」という印象しかしない。

砲台の上の屋上部分にも構造物が建て増しされているのが確認される。このお宅の主だった男性は地元新聞社の取材を受けていた2004年時点で82歳、戦時中は旧海軍に所属し、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦に参加した事もあったという人物だ。もしご存命であれば2018年時点で96歳である。

2007年当時の様子。外階段の入口は「無断で登らないで下さい」の注意書きと共に黄色いチェーンで塞がれている。時折物珍しさから勝手に登る人間がいるらしい。

2012年に解体された、そのお向かいの砲台は保存状態も良く、かつての高射砲陣地だった頃の面影を正確に留めていた。今となっては解体され更地となり、しょうもない建売住宅に姿を変えてしまっている。

戦後のドサクサで住宅難に喘いでいた人々が急ごしらえで住宅にしてしまったものだし、2002年以降、大阪市による立ち退きにも住民は理解を示していたが、同時に市民団体による保存運動も続けられた。取り壊してしまったら二度と元には戻せない、唯一無二の戦争遺跡である事もまた事実である。

十二角形のコンクリート製砲台とは別にある、南側の「指揮所」として使われていた二階建てのコンクリート建造物もまた個人の住居として使われ続けているものである。こちらはまだ生活中の住民がいるようで、市道の建設工事が進まない理由はこれのようだ。

指揮所のコンクリート天井の下は通り抜け可能である。その下が個人宅の玄関となっているが、厳密に言えば私有地と認識できる土地なので無用な通り抜けは避けた方が良い。しかし元々は「戦後のドサクサ」だったわけで、しょっちゅうここを通り抜ける近隣住民の姿もございますけども…

そのすぐ南側の車道沿いには廃車となった個人宅の所有車が。道路を挟んだ南側にはやはり道路予定地に仮整備された児童遊園と「大阪市設国次霊園」がある。あと数年したらこれらの建物は解体され、高射砲陣地を住宅に転用した稀有な街並みが見られなくなる可能性が高い。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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