旧遊郭・五条楽園の外れにある豪奢な洋館「任天堂創業の地」がホテルに生まれ変わるらしい

京都市

去る2016年のリオ・オリンピックの閉会式で安倍首相がスーパーマリオの格好をして土管から現れ、世界中に開催をアピールしていたはずの56年ぶりの東京五輪。一方、大阪ではUSJにスーパーマリオ等のキャラクターが多数登場する「任天堂エリア」が誕生するなど、華やかになるはずだった今年2020年は新型コロナウイルスの猛威によってインバウンド景気もろとも吹っ飛んでしまったわけですが、皆様お元気でしょうか。元気なわけないですか…

一方でこちらは京都の裏名所、旧遊郭・五条楽園。スーパーマリオを生んだ任天堂が京都企業だという事は知られているが、その任天堂が明治時代に花札製造業として起業し、今なおこの五条楽園の外れの一画に“創業の地”を構えていることは、知る人ぞ知るお話。2010年に売防法違反でお茶屋の経営者が逮捕されてから、この地域は“色街”としての歴史を完全に終えてしまったわけで、もはや“遊びに来る場所”でもないんですが…

裏社会が消滅した「五条楽園」、会津小鉄会も追い出され…

五条楽園が壊滅して久しいが、最近この街に訪れて様子を見てみるとまた一つ大きな異変が起きていた。五条楽園の入口にネオン看板が銭湯「サウナの梅湯」と並んで怪しく灯っていたそのすぐ後ろ、高瀬川沿いの一画にイカツイ佇まいでそびえていた、指定暴力団「会津小鉄会」の本部事務所ビルがなんと閉鎖されていたのである。

会津小鉄会は六代目から七代目への跡継ぎに際して、かねてから分裂抗争を続けていた山口組系と神戸山口組系のそれぞれ二人の傘下団体幹部組員が七代目の座を巡って、2017年1月に双方の組織が本部事務所前で乱闘事件を起こしていた。結果、会津小鉄会は組織が分裂し、同年4月には京都市によって使用差し止めの申立が行われた京都地裁によって本部事務所の使用禁止命令が下された。指定暴力団の事務所が裁判所の権限で「使用禁止」にされた事は、過去に例がないらしい。

そもそも暴力団事務所が昔の小学校用地に向かい合って建っていたものだから、会津小鉄会を追い出したい一心で長年過ごしてきたのだろう、という地域の事情は容易に理解できる。旧菊浜小学校跡地にある京都市の「ひと・まち交流館京都」は図書館や市民活動、ボランティア、老人福祉センター等が入居する、地域住民のための施設である。閉校した小学校に代わって2003年から当地にあるこの施設の存在を理由に、会津小鉄会は本部事務所を追われる羽目になった。(ちなみに傘下団体はそれぞれ左京区一乗寺塚本町、伏見区深草西浦町に事務所がある)


そんな会津小鉄会ビルのお隣「サウナの梅湯」、パンフに堂々と“刺青OK”と書かれております。さすが場所柄…と言いたいところですが、この地域からとうとう“裏社会の面々”が追い出され、いまや外国人バックパッカーの安宿街と化してしまった五条楽園にあって、ファッション感覚でスミを入れたら日本の銭湯に入れてもらえないぜオーマイガー的なガイジン方にはウケが良さそうでございます。

どうでもいいけど、旧五条楽園内の路地に多数ある安宿の一つが「Gojo Paradiso」とな…ド直球過ぎるネーミングでんな…ちなみに「お茶屋」の建物もガンガンズンズングイグイ解体されまくっています。遊郭・赤線カフエー建築の“2020年問題”は確かに現実のものとなりつつある。見納めるならば今のうち。

五条楽園の外れにそびえる「山内任天堂本社」の洋風建築

そんな五条楽園の南側を東西に走る「正面通」、高瀬川と鴨川にそれぞれ架かる二つの正面橋の間に唐突に現れるレトロモダンで豪奢なアールデコ調の洋館…これが世界に誇る日本の一大エンターテイメント企業「NINTENDO」創業の地である。この建物は昭和5(1930)年に竣工したものが現役で残っていて、任天堂創業家の資産管理会社である株式会社山内が土地建物を所有している。

正面通に向いた玄関横には昭和初期のモダン建築らしい、腰の高さほどある重厚な石塀が見られ、任天堂の前身の屋号「株式会社丸福」のトレードマークのついたレリーフが描かれている。これは任天堂が今でも販売している花札にも描かれてるやつですな。

山内任天堂本社の玄関口。普段から閉まったままで、特段店舗とかに使われているわけでもない。それについては長年もったいない気がしていたのだが、最近ではその事情が変わりつつある。詳しくは後で触れますが…

玄関の両サイドの壁に埋め込まれた、これまた重みを感じる二つのプレート。「山内任天堂」の社名が日本語と英語両方で記されている。日本を代表する古都・京都の気質がそうさせるのか、今の今まで荒れ果てもせず朽ちもせず、築90年の建物が今なお健在であることは大したものだと言う他ない。

本社ビルの横の路地に入ると、その奥にも重厚な社屋の建物が連なっているのが見られる。昭和初期の建物としてはコンクリート製四階建てのビルディングはかなり豪華にも思える。任天堂は明治22(1889)年、初代・山内房治郎によって「任天堂骨牌」の屋号で創業、花札やトランプの製造で財を成した。

なぜ任天堂は遊郭地であったこの五条楽園(売防法施行以前は七条新地と呼ばれていた)の外れに創業したか、任天堂が製造する花札やトランプがどんな人間によって消費されていたか、それは長年任侠団体として同じこの土地に鎮座していた会津小鉄会の事もあるし、そのへんはだいたい想像もつく。その後二代目・山内積良の時代を迎え、この豪奢な洋館である本社を建築。昭和34(1959)年に東山区の工場に移るまで本社機能を有していた。

やがて三代目・山内溥時代には花札やトランプの製造だけでは業界の成長に限界がある、このままでは会社の将来が危ういと、1960年代になって多角化戦略に転じ、タクシー会社(ダイヤ交通)やインスタントライス等を販売する食品会社(三近食品)、そしてラブホテルまで経営していたという「黒歴史」ぶりを見せていた。(※ラブホ経営は噂の域を出ないので、そこは一応付け加えておく)それからゲーム&ウォッチ等を経てファミリーコンピュータが誕生する昭和58(1983)年まで、長い道のりがあったわけですね…

それにしても、この山内任天堂本社ビルの丸福マークの金網をよく見ると、この通りあちこちに英文中心の落書きが目につくのである。スーパーマリオはとっくの昔から“世界的キャラクター”であり、この外国人ウエルカムな近年の事情から、世界中の旅行者がその“生まれ故郷“をひと目見ようとやってきては、このような落書きを残す。

ああ…キノピオがいる…金網の金属部分の落書きはただ指でなぞられているだけだが、雨樋にあるペンを使った落書きは明らかな器物損壊罪だ。良い子のみんなはやめようね。確か初めてここを見に来たのが10年前だったんですが、その時には外国人にこんなに落書きされてなかったんだけどね。インバウンドの功罪ってやつですよ。

2021年夏、山内任天堂本社ビルがホテルに生まれ変わる

そんな任天堂130年の歴史の起点となった記念すべき当地にそびえる本社ビルの建物だが、最近になってこのような告知看板が出始めた。「かぶやまProject」と記されており、この建物がホテルとして用途変更され、既存建築部分の改修および一部新築工事が予定されているらしい。設計監修は「安藤忠雄建築研究所」だそうですが、一部新築部分が例の“コンクリ打ちっぱなし”デザインの使い回しにならない事を願うしかない。

そんな任天堂ホテル、来年夏には開業するらしいんですが、既に京都市内はホテル・旅館が供給過剰状態もいいところなのに観光業自体がコロナウイルスのせいで完全に“終了モード”となっている。もう5年くらい早くやるべきじゃなかったっすかね。それでも開業したらガイジンが殺到して凄い事になるんだろうけどな。


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