貧困都市・守口市に残された歴史遺産、豊臣秀吉が作った土手道「文禄堤」のある街並み

京阪本線守口市駅前の近所に「文禄堤」と呼ばれる江戸時代・文禄年間に豊臣秀吉が大名に命じて建てさせたという古い土手道が残っているのが気になって、ちょっと様子を見てみる事にした。

場所は守口市駅前のすぐ北側。傍目には古い路面電車の跨線橋か何かにしか思えない造りの橋が唐突に駅前の車道に跨がり架かっている。ここは大阪市電の都島守口線の通っていた場所とはそもそも違うし、どう考えても廃線跡など無いはずなのだが、これは一体何だと近づくと…

江戸時代に秀吉が建てた土手道が残る街・守口

それは江戸時代、大坂と京を結んでいた「京街道」(大坂街道とも)のうち、奇跡的に残された一部分だったのだ。大阪平野のど真ん中、ひたすらのっぺりした低地ばかりが連なるはずの北河内の街中に突然想像もつかない光景が飛び込む。

京阪守口市駅前の市営住宅「桜町団地」の裏手に回ると、かつての京街道の一部だった「文禄堤」の何たるかが分かる掲示物が置かれている。

時は文禄3(1594)年、伏見城を築城した秀吉が京都と大坂を最短距離で結ぶ淀川左岸上に、大雨の増水時にも使える陸路を確保するべく諸大名(毛利輝元、小早川隆景、吉川広家)に対し淀川の改修工事を命じ、二年ばかりの突貫工事で土手道を築き上げた、それが文禄堤である、という事らしい。

現在の枚方市から大阪市北区長柄に至るまでの約27キロもあったとされる文禄堤は近代化でその殆どが削り取られて無くなってしまい、守口市街地に残る長さ700メートル余りの区間が唯一現存する部分となっている。

この土手道沿いだけ周囲よりも一段高い土地にあり、土手道の上だけは周囲のビンボー臭く品のない下町風情とは違い、ご覧の通りの整然とした元宿場町の佇まいである。土手の上に面して品のいい日本料理店とか喫茶店なんかもちらほらあって、ナマポと高齢者福祉の街・守口のイメージとはおおよそ無縁。ここだけ別世界なのである。

土手道の北端部は国道1号線八島交差点、南端部は守口市役所新庁舎のすぐそばまで続いている。途中で跨ぐ事になる橋は、冒頭に触れたものと同じ橋を上からみた格好になる。土手の上と下では恐らく4メートル程度、ビル二階分の高低差はある。

土手の下を潜る「本町橋」は路線バスの通行も可能な「高さ制限3.8メートル」。土手の切り通しの断面にはびっしりと石垣が詰められている。反対側にはまたパチンコ屋…

逆に考えると元々は大雨が来れば淀川の水が溢れ出て辺り一面洪水になるような低地がごっそり住宅地となって発展してきた地域なわけだ。守口市ホームページで閲覧可能なハザードマップにある「淀川浸水想定区域図」でこの界隈を見ると、“浸水せず”で白色のまま着色されていないエリアは案の定、この文禄堤の上の一部区域だけだ。

守口市「東海道は五十七次です!守口宿をよろしくお願いします!」

江戸の品川から京までの「東海道五十三次」は教科書の歴史の授業でも散々そう教えられ、その通り広く知られているが、東海道は京が終点ではなく大坂にあり、その延長上にある京街道(大坂街道)も東海道に含まれるものとして守口市では「東海道五十七次」をアピール。57番目の宿場町にあたるのが「守口宿」ということらしい。

守口漬(箱入り)

また守口市ではかつて街の特産品で秀吉が食しその名を付けたとされる「守口漬」やその原料である「守口大根」を再び有名にすべくPR活動を行っている。この大根も発祥が守口なだけで当地では殆ど生産されておらず、愛知県丹羽郡扶桑町が主な生産地で「守口漬」などに加工されているが、この守口漬もすっかり名古屋名物として定着している。

急にジジ臭い話題に逸れてしまったが、かつて京街道だった土手道の上の「はんなりとした」街並みを眺めていくとその南端部には義天寺という寺院があり、その先は下り坂となっていく。秀吉が作り上げた奇跡の土手道はここで御仕舞い。あとはいつもの大阪の下町風景です。

観光客が箸にも棒にも掛からない街、守口市にあるだけに見どころ的にはそれほどでもないのだろうが、だからこそ今まで見逃してきた一画なのかも知れない。400年以上も前に築かれた土手道が現代に生き残る街…

土手道の端っこからうねうねと蛇行する下り坂を降りた先の右手に旧三洋電機本社として建てられ、現在は守口市役所の新庁舎になっているビルが見える。長年、財政難もあってあんなボロ庁舎で耐えてきたぶん、新庁舎のご立派ぶりにギャップがありすぎて…

文禄堤の土手下に回れば、ハイいつもの大阪です

ついでに、文禄堤を降りた先でその北側に並行する道に入っていく。こっち側は土手下にあって「いつもの大阪」感がムンムン漂う下町風景。まーた公明党ポスターばっかりやで。

文禄堤の土手下飲食店の代表的存在、「街の中華料理屋」感しか漂ってこない大阪王将守口店。全国展開している同名のチェーン店とはまるで別の佇まい。古いタイプの大阪王将って割とこんな感じですが、実は現存する大阪王将の全店舗で最も古いらしく、一部の大阪王将マニアが絶賛する伝説的名店である。

グルっと一周して再び京阪守口市駅前へ。タワマンもそびえる近代的な駅前風景ですが、その手前には先程土手の上からちらりと見えたパチンコ屋がジャンジャンバリバリと営業中。たまには素通りせずに寄ってみたい街、それが守口市。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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