京都大学近くの戦前モダニズム建築廃墟!元中国人留学生寮「光華寮」を見に行った

東京大学と並んで、日本の最高学府扱いされる「京都大学」のお膝元、京都市左京区。学生街としての趣も強い街ではあるが、京大の周りをお散歩してみると結構アレな物件が残っている。既に有名物件のようだが、レポートしておきたい。

やってきたのは京都大学吉田キャンパスの北側、百万遍交差点。京阪出町柳駅から今出川通沿いに少し歩いたあたりでございます。観光客が年がら年中うんざりするほど乗ってる銀閣寺方面行きのバスをしょっちゅう見かけます。

京大名物タテカン並ぶ百万遍交差点より向かいます

なんべん来ても百万遍…知恩寺というお寺の通称がそのまま地域名になっている京都らしいお土地柄。京大生にはお馴染みのバス停であろうか。さて、ここの交差点の角で見られる光景と言えば…

京大名物のフリーダム過ぎる「タテカン」だらけの光景である。百万遍交差点南東角の京大敷地内の石垣に並べられた京大学生による立て看板は長年この地域の名物となっていたが、2018年5月になって京都大学側はこれを撤去。京都市による「歴史的景観の保全」を理由とした要請を受けてのことである。今でも表現の自由を主張する学生と大学側の攻防は続いているようだが…

まあ何かとサヨサヨしく香ばしい内容のタテカンもちらほらございますけれども、先日も学生が「高輪ゲートウェイ駅」の看板を模したタテカンを百万遍交差点角の石垣に設置し、職員に撤去された顛末もあった。高輪ゲートウェイならぬ極左活動のゲートウェイとなっているのも京大生の伝統ですからね。でも、さすが日本屈指の学力を誇る京大生の方々もユーモアを駆使してAR(拡張現実)タテカンなるものを開発したり色々と知恵を絞っている。

京大北側を通る今出川通沿いの学生向け飲食店が立ち並ぶ一画を横目に、今回の目的地へ向かう。まーた、ここにも憲法9条教系のサヨサヨしさ漂う店もありますな。まあここは「左京区」だししょうがないか。

そして今出川通をしょっちゅう往来する京都市営バスのラッピング広告も何やら胡散臭さ爆発なんですが大丈夫でしょうか。「神秘の健康力」…なんだかみすず学苑っぽいフレーズですが、どうもニュアンス的には“ナイスショット・ナイスインだよ”なソッチ系のようです。こんなおゲスいラッピングバスなんて京都でしか見たことおまへん。

戦争と政治の都合で宙に浮いた廃墟アパート「光華寮」

今出川通をそのまま銀閣寺方面に歩くと途中で北白川西町という地域がある。京大農学部や同大学の関連施設に囲まれた一画だがちょろっと住宅地となっている箇所があり、その中には…

突然古びたコンクリート造の集合住宅と思しき廃墟がそびえているのである。京都の町中によもや“軍艦島”が飛び地状態になっていようとは、と言いたくもなるような光景。建物周辺が不法侵入を防ぐ白いフェンスで覆われているが、これは最近になってから設置されたもののようだ。

建物全体に蔦の葉が生い茂り、びっしりと毛細血管状に生長しきっている。我々は11月にこの物件を見に来たのでこの状態だったが、夏場だともう少し青々しくなっているかも知れない。居住空間だったと思しき各戸の窓ガラスも大半が割れて無くなっている。

土浦稲城という建築家(ネット上で調べても常磐線から京王線への乗り換えルートしか出てきません)の設計で建てられた地上5階、地下1階建てのコンクリート造建築は昭和初期においては珍しくもあり、またモダニズム建築としても価値が高いもので、本来なら文化財として保護すべきレベルなのだろうが、すんなりとそうもいかない問題がある。

この建物は元はと言えば戦前の昭和6(1931)年に民間業者が建設した「洛東アパート」という名前の学生向けアパートだった。それが戦時となった昭和19(1944)年、日本政府は全国の大学に通う海外からの留学生に対し非常措置を講じ「集合教育」を受けさせるため京都帝国大学(当時)に集め、そのうち中国人留学生を受け入れるためにアパートを借り上げ「光華寮」と名乗ったものだ。

終戦後、留学生向けに行っていた国策の「集合教育」が廃止され京都大学が光華寮の管理から外れると、日本政府から賃借料の支払いも途絶え、その後は寮生による自主管理に代わるが、昭和27(1952)年に中華民国政府により光華寮が買い上げられる。しかしその先がヤヤコシイのだ。

その後中国大陸では「文化大革命」が起き、所有者である中華民国側と文革支持派の寮生との対立から土地建物の明け渡しを求め提訴するも(光華寮訴訟)、さらに昭和47(1972)年の「日中国交正常化」で日本は中華人民共和国との国交を樹立し中華民国との国交が断絶。

結果、日本と国交が無くなった台湾(中華民国)の資産だったものを裁判でどうするかという、非常に政治レベルでヤヤコシイ事案と化してしまった光華寮。40年もの長きにわたり、度重なる判決の末に最高裁まで進んだ泥沼の裁判の後、日本の司法は「一つの中国」に従う形で幕引きとなり、台湾は所有権を失った結果、今も所有者は決まっていない。廃墟化した建物の管理は中国政府を支持する華僑団体が実質的に行っているそうだが、そうとは言え、見ての通り放置同然で崩落も激しい。ところで何年前まで寮生が住んでいたのだろうね。

長年放置された廃墟に対して京都市側は2018年初旬に初めて建物内に入り内部調査を実施するも、2015年に施行された「空き家対策特別措置法」に準じた京都市の空き家条例すら、中国と台湾という二つの国家に板挟みにされたこの建物をどうにもできないらしい。

で、この建物を早くどうにかしてくれというのは、見ての通りの至近距離にお住まいの近隣の皆様方に他ならない。台風や地震やら何やらで、この建物が崩落したり、危ないモノが飛んできたりするという脅威に長年晒されながら、やはり住民側からもどうにもできないという深刻な問題。そう言えば東京にも「清華寮」という、こことよく似た建物がありましたが、あちらは住民の不法占拠状態の末、火事で死人が出た挙げ句、建物が解体されて終わっている。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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