【追悼・宮崎学】JR奈良線で行く京都南部の秘境タウン「井手町」には何があるのか【合併しない町】

綴喜郡

先週(2022年3月30日)、作家の宮崎学が死去したとのニュースが飛び込んできた。享年76歳、群馬県の高齢者施設で老衰のために息を引き取ったとのことだが、“老衰”にしてはその年齢はまだ早いような気がする。

作家の宮崎学さん死去、76歳…「突破者」で「キツネ目の男」と疑われた経緯記す
【読売新聞】 自伝的ノンフィクション「突破者」などで知られる作家の宮崎学(みやざき・まなぶ)さんが3月30日、老衰で死去した。76歳だった。葬儀は近親者で済ませた。 京都府出身。早大中退後、週刊誌記者などを経て、1996年に「突破者

昨今、我々にとっても心の琴線にどこかしら触れてきた、アウトローな世界を生きてきた大物作家が次々とこの世を去っている。先月(2月5日)には西村賢太が急死(石原慎太郎死去に伴う追悼記事を発表した直後)したばかりである。どちらも生い立ちが壮絶なのだが、とりわけ宮崎学に関しては実家が京都伏見のヤクザの組長だったというのだから人生のスタートラインの時点でもかなり特殊である。

突破者 上―戦後史の陰を駆け抜けた50年 (幻冬舎アウトロー文庫 O 30-1)
ヤクザの組長の息子として生まれ、学生運動に身を投じ、雑誌記者を経て全国指名手配。グリコ・森永事件で犯人「キツネ目の男」に擬された男のベストセラー自伝。

宮崎学の代表作と言えば自らの波乱万丈な半生を綴った自伝「突破者」が知られているが、解体業を営むヤクザの組長の息子という事で京大生の家庭教師が付いて、そこから左翼思想を植え付けられて学生運動に身を投じていくというのはこの年代ならではのものか。つまり“団塊の世代”に近いのが宮崎学であるが、当方は世代的には団塊ジュニアに近いので、こうした感覚は馴染みが薄い。

桜が満開ですね

そこで今回やってきたのは宮崎学が常人からかけ離れた濃厚過ぎる極道のボンボン人生を歩んできた土地・京都…というか、ヤクザの組長だった宮崎学の父親の生まれ故郷とされる京都府南部の綴喜郡井手町という土地である。同じ京都とは言ってもここは京都市内からはかなり離れた場所にあって、JR奈良線に片道30分乗って向かう地域。宮崎学の訃報に接し、ふと思い出したようにこの町にある「井手の玉川」という桜の名所を一目見に来た次第である。

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