大和郡山市東岡町・禁断の「郡山新地」の残骸 (1)

大和郡山市東岡町。この地名を聞いて何だかゾクゾクするような人は、恐らく中年以上の夜遊び好きなオッサンだろう。この東岡町は、奈良市木辻町、同じく郡山の洞泉寺町と同じく江戸時代から遊郭として栄えた「奈良三大遊郭」の一つで、表向きには昭和33(1958)年の売防法施行によって遊郭としての歴史に幕を閉じた場所だ。
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しかしこの東岡町だけは売防法施行後も細々ともぐりで「営業」を続けていたらしく、昭和63(1988)年に某変態新聞のスクープにより売春旅館を告発する記事が掲載された事がきっかけで出鼻を挫かれた形の奈良県警が一斉捜査に乗り出し壊滅してしまったという、なんとも香ばしい歴史を持つ土地なのだ。


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その東岡町の遊郭だが、やはり洞泉寺町と同じようにご立派な3階建ての妓楼が狭い路地に立ち並んでいたりしていて雰囲気が独特である。ただし洞泉寺町は昭和33年以後は純然たる「遊郭跡」になったのに対して東岡町は事情が違うのだ。
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妓楼の2階部分に取り付けられた「旅館」の二文字だけの意味深な看板が、この地区の意味を物語る。20年前までは現役のちょんの間だったのだ。
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歯抜けとなった空き地の向こう側から路地に潜む3階建ての妓楼を遠目に眺める事が出来る。素晴らしい建物には違いないが、洞泉寺町のように細かく手入れされている様子はなく、締め切られたままの雨戸が変色して建物全体に暗い影を落としている。
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そしてこれらの妓楼をよく観察すると全くの廃墟となっているのだ。実に惜しい展開である。雨戸が一部壊れていたり、窓ガラスにも破損箇所がある。
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住民の手で街並みの保全が図られている洞泉寺町とは全くの正反対である。東岡町の遊郭に来て早くも異様な空気を察知した。そこはまさしく死んだ色街。
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20年前の某変態新聞のスクープによると、この東岡町内に女性を抱えたその手の旅館が複数所在し、その実態を告発した内容となっているそうだ。昔からこの新聞社はソッチ方面の取材が得意なんですね。
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そういう経緯で今ではソッチ目的の客が来るような事もなく、ただただ密かに余生を過ごしているだけといった佇まいの街並みになってはいる。一応こう見えても住民もいるし、完全なゴーストタウンではないのだが、とにかく雰囲気が不気味だ。
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妓楼の二階部分に設置されているモダンな外灯には当時の遊郭時代の妓楼の屋号が書かれていた。吉乃。
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この東岡町も遊郭特有の迷宮のように入り組んだ路地が特徴的だ。恐らく戦前の東京にあった玉の井の路地裏も似たような佇まいだったかも知れない。男どもが精をつける為に、しっかり「うなぎ」と大きく書かれた食堂の看板があったり、酒屋や質屋の残骸があったり。
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既に街の役目が終わったと頃合いを見計らったかのように店を畳んでしまった遊郭の中の大衆酒場。看板だけが外れ落ちそうになりながらも唯一存在をアピールしている。
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ボロボロに朽ち果てた妓楼の建物の横っ面。手入れが行き届いた洞泉寺町のそれと見比べると一目瞭然である。負の情念をまるごと背負い込んだような路地に佇むと、人間の業の深さを孕んだ重苦しい空気が一気にのしかかってくるかのようだ。
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洞泉寺町は非常に狭いエリアだったが、東岡町の方が遊郭の規模としてはでかい。まだまだこの一帯は探索を続けなければならない。街の不気味さや怖さより好奇心が勝る。

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