大和郡山市東岡町、そこには昭和の末期まで「郡山新地」と呼ばれる現役のちょんの間が存在していた。密かにフィリピン人女性などが働いていたというが、それは警察による徹底的な摘発により壊滅、今では死んだ色街となっている。
そんな東岡町界隈を引き続き探索する。新地が潰されてからかれこれ20年くらいは経っていて、当時の面影を残す妓楼や怪しい建築物も少しずつではあるが取り壊されて、迷宮のような路地が歯抜けのような姿を晒している。
潰れた大衆酒場の向かいにも3階建ての妓楼がもう一軒。2階部分は洞泉寺町のように細縦格子が一面に張り巡らされていた。
遊郭の中心部分だったはずの土地は大胆に更地にされてしまい、背後にある民家の土蔵などが丸見えになっていた。栄枯盛衰の「衰」の姿しか見られない我々取材班の世代にとってはいささか残念な感じもする。現役だったという20年前はどんな風景だったのだろう。
ただこの場所、死んだようになっているとは言え、今でもいかつい組事務所がデーンと建物を構えていて物々しい。色街にはよくある展開だが、まともにそういう物件の存在を見てしまうとさすがに緊張感が高まる。
まるで広場のようになった空間の一角には、3階建ての妓楼が一軒立ち尽くしている。しかも純和風ではなく、下半分がモダンな洋風にアレンジされた和洋折衷スタイルになっているのである。これは凄い。さぞかし立派な妓楼だったのだろうが、今では普通の民家に転用されていた。
そこから斜向かいには「旅館あすか野」と書かれたボロボロの廃屋の玄関口がある。開き戸の両側の丸い窓がアクセント。モルタル壁や庇の辺りが崩落していてブルーシートで養生されている。
さらにスナックの残骸もある。こちらも壁一面がモルタル塗りで覆われた、カフェー街のそれを思わせる作りの建物。
旅館あすか野の脇から奥へ続く路地がある。隣はスーパーか何かの廃墟だろうか。とにかく東岡町は廃墟率の高さが半端ない。
路地を抜けると突き当たりにさらに細い路地とT字路で交わる。どうやらここが遊郭の南限らしい。古びた平屋建てのアパートなどが立ち並んでいる。
潰れたお好み焼き屋の看板だけが残る。火事でもあったのか熱で不自然にひん曲がった看板。お好み焼を食べていた客の大半は遊女と客だろうか。
路地の突き当たりには両側にボロアパートがひしめく。その向こうの土地は一気に開けているが、大和郡山独特の金魚田になっているため、この奥は通り抜け出来ない。
今なお土地に根付いた不穏な空気が本能をくすぐるのか、そろそろ居づらくなったので一旦遊郭跡の中心を抜けて金魚田の方へ抜けてきた。本当に不思議な空間である。