【泉大津市】日露戦争中、日本最大のロシア俘虜収容所があった土地…「泉大津のロシア兵墓地」を訪れた

今から110年以上前、明治時代にあった「日露戦争」の際、愛媛県松山市をはじめ日本全国29ヶ所にロシア軍捕虜の収容所が作られた中、最も規模が大きかったのが現在の大阪・高石市にあった「浜寺俘虜収容所」だった。最大28,000人もの捕虜が暮らしていたという巨大な収容所で命を落としたロシア人が、隣の泉大津市にある共同墓地にひっそりと葬られていると聞いた。

それが南海本線泉大津駅から徒歩10分程度の場所にある「泉大津市営春日墓地」と呼ばれる共同墓地。駅の北東側、春日町の住宅地の一角にひっそりとある、何ということのない、昔ながらの佇まいをした墓地である。

市営墓地というだけあってどことなく質素な作りもしているが、古びた看板にある「泉大津市営斎場入口」と書かれていたものが「斎場」の二文字だけ削り取られている。かつては焼き場もあったのが、廃止されたものだろう。

泉大津にある日露戦争の歴史の証人、ロシア兵墓地

墓地の中は別段これといった特徴もなく、ごく普通に地元民のための空間といった印象を持つ以上のものもない。ただ墓地の南東側に廃校となった旧「泉州朝鮮初級学校」の建物が放置状態のまま残っている。北朝鮮とロシアは国境を隔てた隣国だが、ここ泉大津で朝鮮学校とロシア兵墓地が隣り合っているというのも奇妙な構図である。

墓地内には先の大戦で命を落とした人々を弔う慰霊塔も建ってはいるが、これはあくまで日本人向けのものである。

とりわけ観光地でもなんでもない泉大津にあるロシア兵墓地を訪れる人間もそうそう居ないのだろう、墓地の奥の方に入ってもどのへんがロシア兵墓地なのかさっぱり案内看板が出てこない…そう思った直後…

広大な墓地の北側の区画にロシア兵墓地があるという案内がようやく出て来た。矢印に導かれるように墓地の最も奥へ入ると…

そこには明らかに日本風の墓地ではない、背丈の低い墓石が並び細かく白い玉砂利が敷かれた共同墓地が別に作られている。これが日露戦争で浜寺俘虜収容所に入っていたロシア兵が眠る墓地である。

泉大津市営春日墓地の一角、約600平米の土地が地元住民により提供されており、そこには89名ものロシア兵が埋葬されている。ロシア兵捕虜は日露戦争の終結後、全てロシアに送還されたが、病死するなどして日本で息絶えた人々がこの地に眠っている。

日露戦争が終結した明治38(1905)年から数えると既に113年の年月が過ぎていて、ロシア語で記された墓石の文字も大部分が掠れていてかなり読みづらくなっている。傍らには日本語とロシア語で亡くなったロシア兵の氏名と死亡日が記された小さなプレートが添えられている。

それらの墓を見下ろすようにそびえる石造りの慰霊塔は、当時のロシア政府によって建てられたものである。

慰霊塔の中央部分にはロシア語で「死せるロシアの戦士たちへ 旅順港の戦友より 1905年」と一文が刻まれている。

さらに慰霊塔の台座部分にはロシア語、ドイツ語、ポーランド語、アラビア語、ヘブライ語の五カ国語表記で「魂よ、安らかなれ」と一文が刻まれている。

現在もこの墓地には毎年「泉大津ロシア兵墓地慰霊祭」が行われ、地元の泉大津市や在大阪ロシア総領事館関係者などが参列する。

ロシア帝国論―19世紀ロシアの国家・民族・歴史

明治末期、欧米列強と対抗すべく富国強兵を目指していた日本だが、世界の主要国家が戦況を見守り、両陣営に加担していた事から「第0次世界大戦」とも位置付けられた日露戦争の結果、当時の日本政府によるロシア兵捕虜の扱いにも注目が集まっていた。

日露戦争で圧倒的な勝利を収めた日本は一等国として相応しい振る舞いを求められ、約8万人居たロシア兵捕虜には手厚い人道的処遇を徹底したとされる。そのため日露戦争後、当時のロシア帝国が革命による滅亡を迎えるまで、両国は友好的な関係に終始している。

一方でロシア兵墓地の隣にある、廃校になった朝鮮学校は…

そんなロシア兵墓地がある泉大津市営春日墓地に隣接して、廃れた姿を晒しているのが、ロシアのお隣、北朝鮮政府の指揮下にある朝鮮総連の傘下、学校法人大阪朝鮮学園が運営する「朝鮮学校」の成れの果てという奇遇さよ。「泉州朝鮮初級学校」だった施設だが、2010年に南大阪朝鮮初級学校(住之江区)と統合される形で廃校となった。

泉州地域唯一の朝鮮学校として、終戦直後に開校した「泉北朝鮮学院」の時代から60年以上にも渡る歴史を歩んできたが、生徒数の減少が激しく、統合による廃校を余儀なくされた形になる。現在も土地は明け渡しておらず、校庭は雑草が伸び放題になっている。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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