【豊中市】駅舎を御神木がぶち抜く阪急宝塚線「服部天神」駅とその周辺を歩く

大阪・梅田から北摂のお上品な住宅地を結び、全国の強烈な女性ファンが熱視線を注ぐ歌劇の街・宝塚へ至る「阪急宝塚線」だが、その手前にある豊中市南部地域は大阪市内と大差ない下町風景が続く。

そんなわけで今回も「お阪急」のマルーンカラー急行車両が颯爽と素通りしていく街を途中下車してみた件。庄内の一つ先にある「服部天神」である。両隣の庄内、曽根同様、各駅停車の普通電車しか止まらないローカル溢れる服部天神駅ホームに降り立つ。

「服部」→「服部天神」しれっと駅名変更

この駅、以前は「服部」駅だったはずだが、いつの間にか今の駅名に変更されている。同駅は明治43(1910)年に箕面有馬電気軌道の宝塚本線として開業して以来の歴史があるが、当初は「服部天神駅」という駅名だったのが僅か2年後に「天神」の二文字が外され、2013年12月になって、100年の時を越えて再度元の駅名に戻った形になる。

服部天神駅の梅田方面行き上り2番ホームには、御神木の楠の木がズドーンと地面から天井までを貫いている珍妙な光景が拝める。京阪本線の萱島駅にある御神木の大楠同様、ここも近所にある服部天神宮の境内に駅が置かれた関係で、御神木が伐採されずに残されているのだ。

相対式ホームのそれぞれに駅舎がある服部天神駅。遠目に見ると御神木のズドーンぶりが視覚的に判断できよう。しかし「樹齢700年」と言われる萱島神社の御神木と比べるとかなり小さめである。もう数百年待てばもっとカッコよくなりそうですが、その頃にはとうに生きてませんわ。

駅前は東西にそれぞれ、やれた佇まいの中途半端な商店街が広がっているが、隣の庄内ほど派手な発展はしていない。駅東側の国道176号線を越えて北東部には北摂住民御用達の服部緑地公園なんかもあるが、その手前まではのっぺりした下町風景が続く。

昭和風情満載の雑居ビルが道の両側にそびえる駅前商店街も、隣の庄内駅前のようなザワザワドキドキするような毒々しさは感じられない。ツッコミどころを探すのが意外に難しい。まあ、駅の西側はもうちょっと面白いんですけど、それは次回に詳しく触れる事にする。

オツな路地裏風景、服部天神宮と参道商店街

それよりも駅名の由来になっている「服部天神宮」への参道となっている「服部元町商店街」が何やら賑々しい件。菅原道真を祀る天神様ではあるが「足の神様」として有名な神社である。

商店街はメインの通りを外れた路地に入ったところに広がっている。こちらも雰囲気の良さげなレトロな佇まいの喫茶店やら適当な飲食街で成り立っているが、隣の庄内駅前のような如何わしい店がひょっこり紛れていたりする事もない。

服部天神宮の境内にも記されているが神社の創建年代もあまりに古く詳細も明らかではないのだが、大阪から池田、能勢の妙見堂に至る「能勢街道」の中間地点にもあった当地は江戸時代の中後期には天神信仰の中心地として旅籠や茶店が集う門前町としてたいそう栄えていたと言われる。

場末感の強いスナック街なんぞもちょろっとあるんですけれども、菅原道真が最後に辿り着いた太宰府天満宮のようなシャレオツ感は全くもって皆無であり、そこはやはり「いつもの大阪」という他ない。

路地裏に現れる古びた民家とボクシングジムの看板もドカチン感に華を添える。もはや学問の神様を信仰するような知識層が住んでいる雰囲気とは思えない。

路地裏にある食い物屋にはこのような幟が立てられている。どうも豊中市も地元の新名物を作ろうと躍起になっていて、豊中市にある阪大キャンパスで発掘されたマチカネワニの化石にこじつけて、ワニ肉料理をプッシュしている件。市のマスコットキャラ「マチカネくん」が必死でPRするも、肝心の豊中市民にはどれだけ知名度があるんですかこれ。

そうこうしているうちに服部天神宮の入口となる鳥居が見えてきた。毎年正月の初詣にはそれなりに賑わっているようだが、普段は静まり返っている。服部天神駅がある場所も含めて、この界隈一帯はかつて全て服部天神宮の境内だったらしい。

主祭神が菅原道真なので合格祈願で来る参拝者も多いようだが、服部天神宮は足の病気に悩まされている人々が祈願に訪れるという「足の神様」の方が有名。足のツボを刺激する玉石が埋め込まれた健脚祈願台座も完備。“最高ですかー”の爺さんがやってた怪しい足裏診断よりもよっぽど御利益がありそうです。

さらに服部天神宮の由来ともなっているのは菅原道真の時代よりずっと前、朝鮮からの渡来人としてやってきた「秦氏」の時代に遡り、医薬の神である少彦名命を信仰していたのが現代まで「足の守護」の御利益に繋がっている、という事らしい。

機織りの技術を伝えた秦の人々は「機織部」(はたおりべ)と呼ばれ全国各地に住み着いたと。つまり「服部」の地名・人名の由来とされている場所の一つであると言える。全国の服部さんのうちの何割かがここに由来があるという事ですかね。

後に大宰府に左遷中当地に辿り着いた菅原道真公は当地で脚気の病に苦しめられるも、当地で信仰されている少彦名命に平癒祈願したところ病抜けをした、という言い伝えがある。結構凄い謂れのある神社なのに、100年間も駅の名前から「天神」の二文字が外されていたとは、なんとも不遇な神社である。


The following two tabs change content below.
DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
トップへ戻る
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.