【伏見区】京都小学生殺害事件“てるくはのる”が牙を剥いた街「醍醐・日野」を歩く

京都市

1200年続くニッポンの古都…というだけでプライドの塊といった感じの強い街「京都市」の中でも、碁盤目の中のいわゆる“洛中人”たちに見下されがちなのが「伏見区」である。しかしそんな伏見区を十把一絡げにするのは少し無理がある。区域が広すぎるのだ。伏見稲荷大社~伏見桃山城・天皇陵のある辺りが最も由緒正しいようだが、西の外れにある淀や羽束師、宇治川を越えた先の南の果てにある向島も全て伏見区、そしてこれからお伝えする「醍醐・日野」という地域も、同じ伏見区にある街だ。

“深刻な財政難”ですっかり有名になった京都市の赤字垂れ流し状態な市営地下鉄東西線が走っている伏見区東部のこの界隈…そう言えばあまり訪れた事のない土地だった。行政上は伏見区の一部ということだが、区の中心部からは桃山丘陵や大岩山といった山地(東山連峰)で隔てられていて、むしろ北側に隣接する山科盆地に属している。警察の管轄ですら山科警察署の範囲で、生活圏で言えば“ほぼ山科”なのである。そんな土地で今から20年少し前、地域住民を恐怖のどん底に叩き落とした、とある事件の現場を巡った。

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