【昭和遺産】大阪市内屈指の非戦災地域「福島区海老江」の激渋過ぎる戦前長屋建築群

大阪市福島区

阪神本線、地下鉄千日前線、JR東西線の三線の駅が集まる「野田阪神」という地域、梅田のすぐ近くにもありながらやたら存在がマイナーでローカル感を放っている。それぞれ鉄道会社ごとに駅の名前が違うせいで、地域としての一体性がなくなり、その事に繋がっているのではないだろうか。

今回はそんな野田阪神地域の北側一帯、住所で言う「福島区海老江」の界隈を散歩してみることにする。とりあえず阪神野田駅前からスタート。福島区海老江というのは、阪神本線の高架から北側一帯の地域を指しているが、1997年に開業したJR東西線の駅名にもなっている。

阪神野田駅の背後にそびえる野田阪神住民御用達の駅前商業施設「ウイステ」。元々は阪神電鉄が運行していた路面電車やバスの操車場だった場所で、それが再開発されて1992年にジャスコと阪神電鉄の本社社屋に生まれ変わった。ジャスコはとうの昔にイオンに名を改めたが、どうも「野田阪神のジャスコ」と呼んでしまいたくなるのはオッサンだからですかそうですか。

野田阪神機械工具街という高架下有効活用事例

阪神本線の高架下を見ると「野田阪神機械工具街」を看板が掲げられた一画が現れる。この界隈も松下幸之助が電気器具工場を初めた創業の地だけのこともあって、未だに町工場の多い一帯であることを示している。

阪神の高架下にずらりと連なる看板群。入っているテナントには時折新聞販売店だとか工場なんかもあるが、やはり主役は機械工具類を扱う業者である。


全長200メートル以上はあるだろうか、遠目に見ると看板の数が結構多くて、なかなか圧巻な光景ですね…

戦前長屋建築が密集する海老江の非戦災地域

そのまま高架下沿いに尼崎方向に歩くと隣の淀川駅にたどり着くが、その手前から右手に入ると古臭い下町の光景が容赦なく姿を見せる。福島区が大阪大空襲の被害をあまり受けなかったため区の7割が非戦災地域なのは以前申し上げた通りだ。

福島区は大阪市内ではそこかしこにある市営住宅はそれほど多くはない。その代わりに多いのがこの手の古びた長屋のアパートだ。なんとも下町感凄まじい。許永中の生まれ故郷、中津商店街のあたりにも似たような佇まいの街並みがあるが、そこまで荒れた感じもしない。

梅田にも近い交通至便な地域なのでところどころマンションに建て変わっている部分もあるが、昔ながらの細い路地が入り組んだ場所はまだまだこうした長屋建築が一般的である。特に戦前の街並みが残っているのが海老江七・八丁目だ。

福島区海老江にはこうした築80年とか90年の超絶ヴィンテージ物件がごろごろあるのだが、戦後に建てられた文化住宅のようなビンボー臭さというか悲壮感は漂ってこない。「シュッとした感じ」と言いますかね。

それにこの手の長屋は市営住宅のように入居者に条件があるわけでもない民間所有の物件なので、その気になればいつでも長屋暮らしが可能である。

「海老江 長屋」とかで検索して引っかかった不動産サイトを見れば分かるが、1000万円も出せば駅チカの「中古テラスハウス」が買える街・海老江。下手すりゃ明治末期築の築100年オーバー物件もある。

路地裏を縫うように歩いていくとその隙間から現れた「福壽荘」なるアパートもその佇まいが凄い。壁がモルタル葺きになっているあたり、これは戦後築ですかね。

関西では珍しい銅板葺き長屋建築まである

海老江の戦前生まれ長屋建築コレクション、しまいには「銅板葺き」の長屋まで現れる始末。ちょっとびっくりしてしまった。東京の、特に関東大震災における大火で大きな被害を受けた台東区や墨田区あたりの非戦災地域ではよく見かけるんですが、こんなお宅を見かけたの、大阪市内では海老江くらいですかね。

震災後に建てられた一部の木造長屋に、耐火性能を考慮して外壁材に銅板が用いられ一時期普及していたのだが、そんな被害のなかった関西では非常に珍しい。もしかしたら東京で働いていた職人がひょっこり大阪に引っ越してきて、これを作ったのかも知れんすよね。

海老江七丁目の一部には、石畳が敷かれたオツな佇まいの路地裏も現存している。未だ観光地化されていない、素の状態で残る大阪下町の原風景である。

国道2号を挟んだ先の海老江三・四丁目、一丁目北側の界隈も戦前の街並みが色濃く残っている。

中崎町あたりもこのような長屋が多く残った非戦災地域があるが、あちらは女子向けほっこりオサレカフェなんぞにリノベーションされまくったり、すっかり観光地化してしまっている。一転、海老江はそのような事にはなっていないが、いつか目をつけられる時期が来るのだろうか。


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