大阪万博に潰されたとされる尼崎の遊里「初島新地」は今どうなっているのか

尼崎市

阪神工業地帯の中にあり、昭和の時代には工業都市として栄えた兵庫県尼崎市。そこには「かんなみ新地」などという怪しい裏名所もあったり、あの連続怪死事件の主犯格、故・角田美代子被告が仕事をしていたという戸ノ内の「神崎新地」、さらにもう一カ所、南初島町にも「初島新地」といったものが存在していた。

尼崎市 阪神尼崎

このうち初島新地という場所は、これまで足を運んだ事が無かった。場所が少々不便なのと、新地が壊滅したのが大阪万博前、既に45年が経過していて街並みが残っていないというのがその理由だった。まあでも、今どうなってるかくらいは気になりますよね。なのでやってきました。

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初島新地があった尼崎市南初島町は阪神大物駅から海側に1キロ超、徒歩15分の距離があり、公共交通機関だけで行くのは少し面倒である。尼崎市バスのバス停があり、バスで来る場合はJR尼崎駅もしくは阪神大物駅から乗車し「初島町」及び「コスモ工業団地前」で下車。しかしバスは基本一時間に一本しか無い。

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真向かいには尼崎ドライブスクール、通称「あまドラ」。なんでも略すのが好きな関西人らしいセンス。フォークリフトや玉掛けなんかの免許が取れるのも場所柄である。

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周囲は工業地帯に囲まれた川の中州地帯のような土地。そこに「それっぽい」碁盤目状の区画が敷かれた住宅地がまるで陸の孤島のように残っている。これが新地の名残りという事らしい。かなり町外れな印象だが、表の通り沿いには喫茶店なんかもある。

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それと工業地帯には欠かせない労働者のオアシス、命の水ことアルコール類を販売する街の酒屋もしっかりございます。中に角打ちでもありそうな勢いだが店の表に自販機がずらーり。酒でも飲まんと仕事してられるかって感じですよね。

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あとはどこか悲壮感漂わせる手書き看板が印象的な街の大衆食堂の成れの果てなんかも残っておりいずれも地域の労働者の溜まり場として機能している模様。おかず色色、人生も色色。

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地域住民の為だろうローカルなお米屋さんもあるにはあるのだが、商圏はごく限られていそうで、とっくにお役御免となってしまったようで絶賛廃業中。店先に放置されたドリンクや米の自販機が古いのなんの。こんな所で「安定は、希望です。」と言われても日本語の用法がどこかおかしく意味不明で説得力は皆無だ。

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表通りから住宅街の路地に入っていく。自動販売機と並んでコインランドリーにある乾燥機なんぞが設置されている箇所がある。場所柄現場仕事の人も多そうだし、需要が高そうである。

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3×3の碁盤目状に配された南初島町の住宅街の面積は100メートル四方といった所。この路地の形状だけでも見る人が見れば、ここが「新地」の跡だったと想像するには難くない。しかし現在この土地にあるのは建設会社の事務所として使われている建物ばかり。

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いくつも建設会社の事務所があるのだが、中には沖縄の苗字や、在日コリアンの通名っぽい苗字を冠した建設会社も見かけられる。やはりこのへんの事情も関西特有のものを感じる。角田ファミリーの知り合いとかもリアルで居たりして…

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建設会社のビルは従業員の寄宿舎をも兼ねているようで、現場作業員が住み込んでいるのか生活臭が強い。洗濯物が干されていたり、やはりコインランドリーの洗濯機や乾燥機なども置かれている。

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このような昭和枯れすすきな佇まいの古風なアパートが点々と残っているのも特徴である。一応少し歩けばコンビニなんかもあるのだが、駅から離れたここでの生活はやや不便そうに思える。アパートの一室から子供のはしゃぎ声が聞こえてきた。

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この区画内で唯一小売業を営んでいると思われる店舗。今どきのコンビニエンスストアのそれではない。地方の限界集落の共同売店のような趣きがある。建物も古そうなので、もしかすると初島新地現役時代からあったのかもな。

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そんな個人商店の玄関口。今日は生憎休業日だったようでシャッターが降ろされている。看板には「GENTLEMAN SHOP」。何故に「紳士の店」と銘打つか…どうでもいいが、カタカナで「ゼントルマン」と書いているのが少し笑える。

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この地区には在日本朝鮮人総連合会、つまり朝鮮総連の「尼崎東支部築地分会」の事務所まである。やはり事情のある方々がお住まいの土地らしく、それは元新地という土地の因縁かも知れんが、昭和の高度経済成長期には阪神工業地帯の大気汚染による公害で悩まされてきた歴史もある(尼崎公害訴訟)。どのみち生きる厳しさを感じる土地ではある。

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結局、地区内をうろうろ歩き回っていてかつての色街の痕跡を探したところ、辛うじて現役時代のものかと思われる建物はこの薄ピンク色で二階部分に特徴ある形状のバルコニーを備えたこちらの民家くらいだった。

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戦後、阪神尼崎駅周辺に雨後の筍のように湧いた非合法の特殊飲食街を整理する為に、まず昭和27(1952)年に尼崎市による売春防止条例を制定、その後に特飲街の郊外移転案が上がり、市街地にあった業者は昭和30(1955)年に新たに整備された戸ノ内の神崎新地と、ここ南初島町の日東紡績跡地を買収して開発された初島新地とに分かれ移転。

昭和33(1958)年の売防法施行後もこれらの新地は営業を続けていたが、初島新地は大阪万博開催前に警察による壊滅作戦が行われ、業者は昭和43(1968)年に完全撤退。色街としての歴史は僅か十数年で潰え、現在に至る。


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