【天王寺区】一心寺から愛染院、“連絡まつ村”ステッカーまで…「天王寺」の寺町巡り(2011年)

<1ページ目を読む

天王寺の上町台地に沿って一心寺、安居神社と進んでいくとその先には「清水寺」がある。正式名称は「有栖山清光院清水寺」。京都ではなく大阪の清水寺である。読みも同じくきよみずでら。天神坂を登らずに崖下の住宅街が続く道を入るとその途中から清水寺へ続く石畳の道が現れる。京都の清水寺とは違い参道の両脇に土産物屋がぎっしり並んでいたり修学旅行生や観光客でごった返しているような様子は一切ない。

寺の入口に古い道標が残されている。そこには「たき道」と記されていた。大阪の清水寺には「大阪市内唯一の天然滝」が境内に現存している。なにせ大阪市内唯一である。ある意味凄いものが隠れている寺だったりするのだ。

石畳の道を進むと緩い坂の上から清水寺の境内が姿を現す。ここも全く観光臭が感じられない。大阪で寺町歩きというのは流行らないらしいが、地元民にすら大阪にこんな場所がある事が知られていないのは勿体無い。

境内に入ると左側全面が墓地になっていて台地の上に墓場が連なっている。手前は無縁仏コーナーだったらしいが工事で移設された模様。

境内の奥にずんずん入っていくと台地に囲まれた窪地のようになった突き当たりに不動明王が祀られているその上から流れ出ているのが「玉出の滝」と呼ばれる大阪市内唯一の天然滝。さすが同じ清水寺を名乗るだけの事はあって京都の清水寺にある「音羽の滝」にクリソツなのである。

玉出の滝の水は四天王寺金堂下にある青龍池から流れているとされる。滝とは言っても流れる量はごくわずか。しかしたまにこの滝に打たれて修行する人もいるらしい。清水寺自体も四天王寺の支院となっていて、境内にはそこそこ参拝者の爺さん婆さんの姿がある。

玉出の滝とは言うが西成区や安売りスーパーの玉出とは関係がない。それに水質上の問題から直接飲用は出来ない。でも煮沸すれば飲んでもよさそうな事を書いているので、意外である。

続いて墓地が広がる台地の上へ続く階段を登る。清水寺なのでやっぱり清水の舞台があるんだろうと思ったら、案の定あるらしい。

ただ、清水の舞台に辿り着くまでは全くもって墓場だらけなのでちょっと異様な雰囲気である。そのうち周囲の街並みが見渡せる程の高さまで登る事になる。京都とは違ってマンションだらけですが。

そして台地のてっぺんに上り詰めるとそこに「清水の舞台」がちゃんと置かれていた。大阪の清水寺は京都の清水寺をかなり忠実を模している事が分かる。当然ながら観光客の姿はない。

大阪だから朴李文化だとか無粋な事は言わないでください(笑)

社伝によると寛永年間に「清水寺そっくりに作りなさい」と観世音菩薩からお告げがあって、最初から京都の清水寺を模して作られていたのだ。その当時はこの舞台から海まで見渡せたらしいが、今ではビルの海が広がるのみ。

大阪の清水寺にある清水の舞台からは、新世界の通天閣と日本橋の電気街がよく見渡せるのだ。

これはこれでなかなかシュールな光景である。

見晴らしの良い舞台の端には梵鐘が吊るされ、その手前には墓場がずらーり。観光客だらけの京都まで行かなくても大阪人の初詣はここで良いではないか。

清水の舞台から通天閣が望める、まさに京都と大阪のイメージが混ざり合うこのミスマッチ感が笑える。まさしく大阪寺巡りの穴場とも言える場所だ。ただ問題なのは場所が少々わかりづらい事だろうか。でも凄くオススメな大阪の清水寺でした。

大阪市内唯一の天然滝と清水の舞台がある清水寺を後にし、さらに上町台地に沿って寺町を北上する。再び清水寺の門前まで戻ってくるとそこはしなびた住宅街。

寺町の名残りだろうか、えらく古い石垣の土台がアパートの下に残されていた。土台を含めてその上のアパートのオンボロっぷりも凄まじいものがあるが、次に地震が来たら多分アウトだなあと思いながら見ていたら、アパートの脇に取り付けられた雨どいに変なシールを見つけた。

何者か分からない老人男性の顔写真とともに「連絡待つ」もしくは「連絡まつ村」と書かれた怪文書ならぬ怪ステッカーがびっしり貼りつけられていたのである。誰が何のために貼り付けたのかも不明で、大阪ミステリー現象の一つに数えられている。同じステッカー群は大阪市内各所で見かける事が出来る。

再び上町台地の下から回り込むと今度は清水坂がある。最近整備されたせいかやけに小奇麗な階段坂だ。

この坂を登るとそのまま谷町筋に出るまで脇道がないので、昇りきらずに引き返す事にした。

上町台地を隔てて崖下はおしなべて大阪のデフォルト下町的光景が続いている。しかし上町台地の上に乗っかっているのは大阪市内髄一の文教地区であり、帝塚山に次いで平均所得の高い住民が多く住んでいる地域だ。この落差もなかなかインパクトがある。

さらに住宅地を進むと今度は愛染坂がある。清水坂の名が清水寺から取られているように、愛染坂の上には「愛染さん」と呼ばれる勝鬘院愛染堂がある。

そして坂の隣には大江神社の鳥居と参道の階段が続いている。

愛染坂は清水坂とは違ってずるずるとスロープ的な坂道が続いている。この二つの坂に挟まれてあるのが大阪星光学院中学校・高等学校。大阪では偏差値トップクラスの有名進学校である。北側の石垣は大江神社。

そしてこの坂の周辺にも「連絡待つ」のステッカーがこれ見よがしにベタベタ貼りまくられていたのだ。わざわざステッカーまで作って貼りつけてまで何がしたいのか意図がわからず物凄く不気味である。

あまりに密度が高いので、もしかするとこのステッカーの顔の主が近くに住んでいるのかも知れないが詳細は一切不明。

借金取りの嫌がらせではないかという仮説が現在の所有力視されているらしいが、確たる証拠もないのでもはや都市伝説の領域である。

愛染坂の上まで登るとその隣に大江神社の鳥居と、向かい側に愛染院の山門がある。愛染坂の手前に車止めがあって、自動車の通行が出来ない。

大江神社境内。ここまで来ると最寄り駅は天王寺でなく隣の四天王寺前夕陽ヶ丘駅となる。この長ったらしい駅名も天王寺区夕陽丘町という地名から来ているが、大江神社の上から見える夕日がその地名の由来となっていて境内に碑もあるらしいが、見落としてしまった。

愛染坂、口縄坂、学園坂と北へ進むとその先は生玉町。寺町とラブホ街が斑模様に入り組んだ怪しい街へ続く。大阪星光学院北側の愛染坂を登った所に勝鬘院愛染堂がある。四天王寺と同じく聖徳太子が開いた施薬院に起源を成すという歴史の深い寺。境内への入口となる薬医門は東大の赤門になぞらえて学問成就の縁起がある。

愛染明王を本尊とする愛染堂は地元では「愛染さん」と呼ばれる事が多く、山門前に置かれた立て看板にも愛染さんの表記がある。生國魂神社は「いくたまさん」、石切神社は「石切さん」と関西は神社仏閣に「さん」付けするのがたいそう好きなようだ。

近所には星光学院に清風高校、大教大付属天王寺中高、府立天王寺高校と軒並み高偏差値の名門校が密集している土地柄。薬医門を潜ってここに合格祈願に訪れる参拝者の姿もいるとか。おしなべて下町で低学歴低収入がデフォである大阪市内において上町台地は特異な存在だ。

参道の向こうには聖徳太子が創建した後、信長に焼き払われ、徳川二代目将軍の手で再建された金堂(大阪府指定文化財)が姿を現す。四天王寺と肩を並べる由緒ある寺だがこっちは観光客も少なく、やたらと静かな境内である。

傍らには国指定重要文化財指定の多宝塔。こっちも信長に焼かれているが後に秀吉が再建している。築400年以上にも及び大阪市内最古の木造建造物だ。

本尊の愛染明王は縁結びと恋愛成就のご利益で知られている。つまり婚活女子が「パワースポット(笑)」などと浮ついた表情で参拝しに来そうな要素盛りだくさんなのだが、境内はそんな如何にも感が漂っている訳でもなく、いたって平然。

無節操なパワースポットブームで近年この愛染堂も雑誌で紹介される機会が増えている。境内にある「愛染かつらの木」と「愛染めの霊水」がパワースポットらしく、これらを目当てにする婚活女子が増加中のこと。

東京浅草の今戸神社みたいな痛絵馬が大量の掲げられているのかと思い見回しても無かったが、その代わり間抜けな顔ハメ看板があった。

さらに愛染堂を出て北側に向かうと今度は口縄坂という坂がある。今までの坂とは違って道幅も狭くどこか陰鬱な雰囲気が漂う場所だ。口縄というのは蛇の古語だが、厳密には関西から九州あたりまで西日本一帯の方言らしい。坂を下から見ると蛇のようにうねっている様からその名が付いたそうだが、見た限り真っ直ぐである。

坂の周囲は全て小規模な寺院で固められていて、どこからどう見ても寺町以外の何者でもない。東京で言えば紛れもなく谷中あたりのポジションである。しつこいようだが上野と天王寺は似ている。

傍らにある善福寺の山門。「子どもをおこるな来た道じゃ 年寄り嫌うな行く道じゃ」

行く道は木々に覆われ昼間でも日光が当たりづらい。大阪市は有史以来「大坂」と名乗ってきた割には坂も少ないし自然環境が極めて少ない都市だが、その中でも上町台地の寺町は僅かに残る例外であると言える。

寺の墓地となっている道の両側からは鬱蒼と木々が生い茂る。目の前を野良猫が通り過ぎていった。どうしても京都と見間違えるが、ここは大阪だ。

坂の途中に何かが祀られた祠がある。左右の石柱には「楽天地北横」「八島洋食店」の字が書かれていた。楽天地とは大正から昭和初期までミナミ千日前にあった「楽天地」の事だろうか。後に跡地が大阪歌舞伎座になり、火災で大勢の死人を出した千日デパートとなった因縁深い場所だ。

坂を上がりきった所に「夫婦善哉」で有名な織田作之助の文学碑がある。ひとまずこの辺で寺と坂巡りは終了。

上町台地に沿って広がる天王寺の寺町にある坂は「天王寺七坂」とも呼ばれ、北側から順に真言坂(生國魂神社近く)、源聖寺坂、口縄坂、愛染坂、清水坂、天神坂、最後に逢阪(一心寺前)となる。今回はそのうち5つを巡った事になる。

地元の大阪人も観光客も一度くらいは散策に来る価値がある道だと思うが、あまりにも知られていないのが現状のようだ。京都なら訳も分からずに寺巡りして有り難がるくせに大阪はたこ焼きとお好み焼き食うてオシマイなんてそら往生しまっせ。

口縄坂を登った先にある文化住宅入口の注意看板。不動明王が「ゴミホルナ」と怒ってはります。


The following two tabs change content below.
DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
トップへ戻る
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.