【天王寺区】一心寺から愛染院、“連絡まつ村”ステッカーまで…「天王寺」の寺町巡り(2011年)

「古都」という括りで関西を見るとどうしても京都や奈良が目の前にあるために大阪の存在感が薄くてしょうがないのだが、大阪もれっきとした古都であり、天王寺区の上町台地に沿って夥しい数の寺院が寄り添う寺町が形成されている。

聖徳太子が建立した四天王寺はもちろん、その周辺にも沢山の寺が点在しているが、上町台地を昇ったり降りたりしながら大阪を代表する天王寺の寺町をがっつり散策する機会がなかったので、先日歩き回ってみた。

あまりにも有名過ぎる四天王寺は端折って、まずは一心寺へ。

天王寺駅から茶臼山のホテル街を横目に谷町筋を北上するとその先に一心寺がある。大阪人が派手好きという訳だからではないが山門からしてブッ飛んでいる。万博広場かよ。いかめしい顔の仁王像が両側に立ち尽くすが、そんな仁王像に負けない顔つきのおばちゃん参拝者がひっきりなしに訪れる。

寺の山門というにはあまりにミスマッチな外観だが、重厚な両側の扉には豪勢に4人の天女のレリーフが彫られている。

本来は大阪城から移築した黒門(玉造御門)が山門として使われていたが大阪大空襲で焼失した後、この前衛的な山門が再建された。1997年に彫刻家神戸峰男氏によって作られたものである。

つかみの時点ですっかり「ゴージャス系珍寺」として認識してしまう他ないのだが、本来ならお盆にしかやらない施餓鬼供養が年がら年中出来る事や、遺骨をかき集めて作った「お骨佛」がある事で、大阪では超有名な寺。参拝客の姿が絶える事はない。

山門を潜ってすぐ正面に六角屋根の念仏堂。ここで祈祷の受付を行っている。いつも信仰熱心なおばちゃんが行列を組んでいる姿が見られる。

しばらく奥へ入ると立派な本堂が姿を現す。境内は大阪大空襲で一度焼失してしまっているので、全て戦後に建てられたものだ。本堂へのお参りもそこそこに、参拝者の人の波はさらに境内の奥へと流れて行く。

その奥にあるのが一心寺の肝「納骨堂」である。明治期以来、宗派を問わず幅広く遺骨を受け入れており全国各地から沢山の遺骨が集まってくる。その遺骨を使って仏像を作るという、ちょっと引いてしまいそうになる独自のしきたりが120年以上も続けられているのだ。

納骨堂の中には遺骨で作られた「お骨佛」が鎮座している。もっとも多くの参拝者達はお骨佛に向かい真剣な眼差しで拝みにやってくる。その辺の寺とは決定的に違う光景である。

お骨佛はほぼ10年おきに完成し、その度納骨堂の中へ安置されていく。その数は計7体。実はそれ以前のお骨佛は大阪大空襲で全て灰燼に帰しており現存しない。本来なら13体あったはずだが、そのうち6体が存在しない事になる。

もうもうと線香鉢から上がる煙に遮られ納骨堂の中のお骨佛の姿はあまり視認する事が出来ない。さすがに遺骨から出来ているというだけあってカルシウム分豊富そうな白いボディの仏様のお姿がそこにある。

なお、山門の外に出て反対側に行くとやたら近代的なコンクリート打ちっぱなしの三千佛堂。歴史ある寺だというのにこの前衛的過ぎなセンスは何なのだろうか。そこに隣接して演劇・落語などを行うイベントホール「一心寺シアター倶楽」がある。

三千佛堂の中には円形に配置された黄金の仏像(千躰佛)が千体きっちり並べられる予定で、参拝者の寄進で完成させる予定でいるそうだ。三千体もおらんやん、と思ったが回廊を三周すると「三千佛」という寸法らしい。

しかしまあこのド派手っぷり。石川県加賀温泉のユートピア加賀の郷(現・豊星寺)のバブリーさを彷彿とさせる。当初のあそこのオーナーも大阪の不動産会社だったが、やっぱり大阪人は派手好きなんですかね。

さらに一心寺の裏側に回ると妙にひと気の少ない路地が隠れている。天王寺公園に抜ける道だが、夜な夜なソッチ系の方々が集まる有名な場所らしく、たまたま通りがかったら胡散臭い他県ナンバーの車がズラリと何かを待ってるように並んでいる光景が見られる。寺の中も外もやたらカオスな場所だ。

一心寺を出て、寺町が形成されている上町台地を北上しながら散策する事にした。道を挟んだ向かいに出たが、正面にやたら奇妙な公園があるのが見えた。

公園の周囲がフェンスに遮られて一切入る事が出来ない謎の公園である。その名も「逢阪公園」。さすが日本最強のホームレスタウン「釜ヶ崎」に隣接している土地柄でけあってホームレス排除を目的に閉め切ってしまっている公園は多い。他にも西成公園とか萩之茶屋北公園とかね。

試しに横っ側に回ってみたが、やはり公園の中に入るのは無理のようだ。すっぽりとフェンスで覆われた公園の中は別に普通の児童公園でしかない。あまつさえ扉には南京錠ががっちりはめこまれていて部外者立ち入り禁止状態。なんなんだこの公園は。

逢阪公園は路地の奥まった所に結構な面積を持つ公園である。よく見ると滑り台など遊具も見える。完全閉鎖という訳ではなく時間帯で開放しているようだが、それにしても異様な光景だ。

そんな奇妙な公園に隣接して「安居天満宮(安居神社)」の入口が通りに面している。神社の入口としてはかなり微妙な趣きだが、ここが正門ではないからだ。大阪天満宮と同じように学問の神様菅原道真公を祀る点は同じだが…

神社の看板や幟には「真田幸村戦死の地」と書かれている。神社自体の創建年代は不詳だが言い伝えによれば菅原道真公が太宰府に左遷される道中に風待ちの休息を取ったともされ長い歴史があるのは確かなようだ。

境内に入るとその先にこじんまりとした拝殿がある。先程の一心寺と比べると嘘みたいに参拝者の姿もなくあまりに静か過ぎる。

で、拝殿横には真田幸村公の像とともに石碑まで置かれていた。大阪夏の陣で徳川軍に追いつめられてここで討ち死にした訳ですね。

実際にこんな格好をしていたかどうか知らんが呑気そうな顔で台座の上に座り込む真田幸村像。

この神社では毎年5月に幸村祭が執り行われるらしい。まあそれ以外は特に見るものもないので、お参りを済ませて境内を出る。

境内から西側には上町台地の崖線に面して大きく景色が開けている。江戸時代の宝永地震(2011年3月の東日本大震災が発生するまでは日本最大級の地震として記録されている)ではこの階段の真ん前まで津波が来た事があるという話が先日テレビで放送されていた。

ちなみに古墳時代あたりになるとこの先はずっと海だったそうだが今では想像できん。

一度階段を降りて下から回り込むとすぐ北側に天神坂がある。天王寺の寺町巡りは寺院と坂道が交互に繰り返される散歩道。大阪髄一の歴史散策コースである。

天神坂の脇にはいかにも人工的なせせらぎが造られている。大阪市内では珍しく湧き水が出る土地という事は聞いていたがもしやこれが…

…そう思って坂を登っていくとそこにはジジイの小便みたいにちょろちょろ流れ出すせせらぎの源流へ辿り着く。ついでに案内が書かれた碑も用意されている。

「古くからこのあたり周辺には天王寺七名水と呼ばれる良質の湧き水がありました」との説明文に納得したのも束の間、ただの人工のせせらぎである事が判明する。

「この施設は、当時の湧き水のふんいきをこの地に再現したものです。」

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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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