天神橋筋のアーケード街を抜けた先「天神橋七・八丁目」には何があるのか

全長2.6キロメートルもある日本一長い商店街としてあまりにも有名な大阪市北区の「天神橋筋商店街」、住所で言うところの北区天神橋一丁目から六丁目までの区間に連なるアーケード商店街だと認識しがちだが、実は北区天神橋には「七丁目」と「八丁目」が存在していて以前から気になっていた。

というわけでやってきました「天神橋筋六丁目」へ。通称「天六」と呼ばれる、天神橋筋商店街の最も北の端にあるエリアである。地下鉄谷町線と堺筋線が交差し、同駅から阪急千里線・京都線への直通電車も出ている、交通至便な街。

天六交差点の近くにある駐輪場に夥しいチャリンコの大群が見られる“大阪あるある”な風景が。「さすべえ」と「ひったくり防止ネット」の装着率の高さは安定の大阪クオリティ。大阪市北区の北東部、長柄とか本庄といった地域にはろくに鉄道駅もないので、そのへんの住民がわっさわさチャリンコで天六に乗り付けてくるわけだ。

忘れないで、天六と言えば「ガス爆発事故」

しかし昔の大阪を知る人間にとって「天六」という地名はあの忌まわしい「天六ガス爆発事故」を思い浮かべる事も多いだろう。天神橋筋六丁目駅近くの国分寺公園にはその事故の犠牲者を弔う慰霊碑が鎮座している。大阪万博が千里丘陵で開催された昭和45(1970)年4月8日にその事故は起きた。

高度経済成長期真っ只中だった大阪市内、地下鉄谷町線の延伸工事が突貫作業で進められていた中、工事現場のガス漏れに駆けつけた大阪ガスのパトロールカーがエンストを起こし、エンジンを再起動したところ地下に溜まっていたガスに着火、「一度目の爆発」を起こす。

今度はその爆発騒ぎで夕刻だった事が重なり多数の野次馬が現れだしたところに「二度目の爆発」が起き、それらの人々が乗っていた長さ200メートルにわたり敷き詰められていた覆工板もろとも吹き飛んだ事で、79人の死者、420人の重軽傷者、26戸の家屋全焼被害という大事故となったのだ。

現場は飛散した覆工板や周辺の建物などのガラクタ等に混じりバラバラになった犠牲者の遺体が散らばる地獄絵図と化し、周辺の寺院や公共施設等はたちまち遺体安置所となった。高度経済成長を迎えた日本にとって初めての大都市災害を経験した出来事だった。この爆発事故で万博会場のガスパビリオンの展示自粛や地下鉄谷町線の延伸区間(東梅田-都島)の開業が遅れるなどの影響も出ている。

アーケードのない天神橋筋七丁目商店街

地下鉄天神橋筋六丁目駅を出て都島通を挟んだすぐ北側が天神橋七丁目となる。ここはさすがに駅前なので商店街らしい賑わいもあるっちゃあるんですが…

天神橋筋七丁目商店街というのも一応存在している。「まいどっ!」と大きく書かれたいかにも大阪的ノリの看板が目印。「てんひち」と表記するのも、やっぱり大阪的ノリである。大阪では質屋も「ヒチヤ」です。

天七商店街入口には「ジオタワー天六」なる地上44階建ての超高層タワマンも完成しており、ド下町感全開のこのエリアに都心回帰志向のアッパー層が流入し始めております。上層階の100㎡超物件では余裕で億ションでございます。一億もの大枚叩いて天六に住む奇特な層もおられるのですか。凄いっすね!

天神橋筋商店街のアーケードが途切れた先の一帯がそのまま商店街となっているわけだが、この区間もアーケードにしてしまえ、という考えはなかったんでしょうかね。城北公園通の手前までが七丁目で、そこから先が八丁目。まだまだ先は長い。

天七商店街のキャラクターでしょうか、数字の「7」をモチーフとした謎のやっつけキャラの絵が描かれている。

天六駅寄りの一画にある老舗の立ち食いうどん屋「天六うどん」もこれまた大阪らしさ全開。「下品なくらいにダシが濃い!」という謎のキャッチフレーズ。ダシが濃いとそんなに下品なんですか知りませんけれども、大阪において「下品」という言葉は別に悪口でもなんでもなく、ただのアイデンティティーですのでね。

この天六うどん、以前は向かいのタワマンが建っている場所に店があって、その時には今よりも下品で古臭さ漂う店構えをしていた記憶がある。きつねうどんと違いますよ「けつねうどん」ですよ。

旧店舗時代のメニュー表。かけうどん200円、けつねうどん280円、牛すじ丼350円でっせ。安すぎるでほんま!移転後は値上がりしたようですが、それでも天六住民の常食スポットとして定着している。早朝5時半から営業中!

同じ天七商店街にある「レストラン利樹」もレトロな佇まいでそそられるものを感じる。もっぱら洋食専門で店構えもカウンターのみで窮屈だが、いずれもライス付で豚ヘレカツ800円、ハンバーグ600円、オムレツ550円という良心的価格が財布に嬉しい。

さらに続くよ天神橋筋八丁目商店街…って、何もあらへんがな

城北公園通を跨いで北側に入るとさらに「天神橋筋八丁目商店街」が続いている。天神橋筋商店街は、一丁目から数えてここの端っこまでが全長2.6キロメートルという事である。このうち全蓋式アーケードがあるのは1.8キロ程度でしかも途中が途切れているので、この商店街を「日本一長い(単体の)アーケード街」と解釈するのも「アーケードが2.6キロもある」と言っちゃうのも、いずれも正しくない。

人通りも滅法少なくなる天八商店街、街路灯も七丁目以上に投げやり感が増してきた。「八」としか書いてない…と思ったら、金属ポールの部分で「天」の字を描いているのだ。

そもそも商店街ですらなく「商店会」なのでお間違えなきよう。

しかしもはやここまで来るとさすがに商店街と呼ぶような体裁のものではなくなっている。駅からも徒歩10分以上あって遠いので、ここいらの住民はチャリで天六駅に行くよりも城北公園通を走る市バスで梅田に出た方が何かと捗る。「北区天神橋」も南北3キロ超あり北区の区域を縦向きに串刺し状態で貫いているが、一丁目と八丁目じゃもはや何の繋がりもありませんよね…

目の前を走る地下鉄堺筋線車両、阪急千里線を経由して淡路、北千里、高槻市方面に乗換なしで一本で行けるお便利路線なのに天神橋筋の北の外れのここら一帯はオールスルーにてフィニッシュ。お陰様で寂れ具合が半端ない。

あえてこの天神橋筋の外れのランドマークを挙げるとするなら「創価学会大阪北文化会館」くらいですかね。タワマン新住民の皆様方、天六は庶民の王者を慕う土着民が支配する、大阪の普遍的なド下町です。ご確認下さい。

そこから程なく淀川河川敷にたどり着き、天神橋筋の最果てはそこを跨ぐ長柄橋に繋がっている。橋を渡った先には東淀川区の柴島浄水場がある。実は天神橋七・八丁目、1989年に北区と合区する前までは「大淀区天神橋」で、更にそれ以前は昭和18(1943)年まで東淀川区に属していた地域だった。

そんな淀川に架かる鉄橋を颯爽を走るマルーンカラーの阪急千里線車両。今日も北摂のお上品ゾーンと大阪市内のお下品ゾーンを結ぶ。“けつねうどん”食うて、さっさと家路につきまっさ。ほなまた明日。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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