【THE関西の闇】脱税事件の舞台・梅旧院光明殿のある「下寺町バイク通り」を歩く

大阪という都市は極端なお土地柄で、大阪市内でごく一部のみエリート校が寄り集まる上町台地沿いとそれ以外の大部分のド下町ゾーンとでは全く街の性質が異なっている。今回訪れたのもそんな「格差」をモロに感じられる、上町台地の崖線に沿った、とある地域だ。

ここは浪速区と天王寺区の境目にある松屋町筋。最寄りの地下鉄駅で言うところの堺筋線恵美須町駅もしくは谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅の中間あたりになる。松屋町筋が途切れる南側の国道25号を挟んだ向かいには天王寺公園やお骨佛で有名な一心寺などがあるこの地域、関西屈指の「バイク街」として一部ではよく知られている。

住所では浪速区下寺、天王寺区下寺町に分かれているこの界隈、上町台地の西側に南北に細長い町域を占めていて、特に天王寺区側は江戸時代から続く寺町にもなっているわけだが、浪速区側にはかつて有名な“軍艦アパート”こと市営下寺住宅があった事でも知られる。(写真は下寺住宅跡地。現在は食品スーパーのライフ下寺店がある)

元々この地域は大正14(1925)年に新設された天王寺区の一部としてあったが戦時中の昭和18(1943)年の区域再編時に松屋町筋の西側が浪速区に移譲され、それ以来同じ「下寺町」なのに別の区になっている。特に浪速区側は昭和55(1980)年に下寺町から現行の「下寺」に変更されている。しかしですね、読み方が浪速区側「しもでら」、天王寺区側「したでらまち」とそれぞれ違うのが謎である。

下寺町は東京・上野と並ぶ日本二大バイク街の一つです

で、この浪速区と天王寺区に跨る下寺町の南側一帯にやたらめったらとバイク屋ばかりがずらりと立ち並ぶ風景が見られる。下寺町は東京・上野と並ぶ日本二大バイク街の一つである。

ホンダ・ヤマハ・カワサキ・スズキ…色々と聞き慣れた国産バイクメーカーのロゴを掲げた店が松屋町筋の両側に 十数店舗くらいあり、歩道にまで売り物のバイクが陳列してあったり「バイク通り」の赤い幟を掲げた店まである。

下寺町は見ての通り、バイク好きな人種には一目置かれる場所らしいが、上野のバイク街が既に寂れているのをとうの昔に目の当たりにしていた我々からすると、こちらもどこか盛り上がりっぷりに欠けている気がしてならない。

バイクというもの、一昔前の感覚では「モテる男のアイテム」的なチャラいノリでごつい二輪車に乗ってはツーリング中の彼女との出会いがきっかけで結婚、ボクの青春はバイクと共にありました、的な人間もいたのだろうが、その中心も今では「ちょい悪オヤジ」などと呼ばれる中高年か、下手すりゃそろそろ免許返上を考えそうな高齢者一歩手前の世代だ。だって“バイク全盛期”って80年代ですからね。

そして実生活ではバイクの駐輪場探しに苦労するわ、販売価格も高けりゃ税金や有料道路の通行料もそれほど安くならずコスパが悪い、万が一の事故だと一発死亡率や後遺症発症率も高い危険な乗り物、そして暴走族による集団暴走や無理な車間のすり抜け行為を行う悪質な運転手の存在など、色々と負のイメージも強い。

二輪車の製造国として日本は世界に誇れる存在でもあるが、自国内での市場はことごとく縮小傾向にある。ともかく郊外のロードサイド店舗が全盛の中で、辛うじて都心部にバイク街が残っている下寺町のような場所は全国的にも珍しい存在かも知れない。

で、こちら下寺町でもちょいちょいと廃業してるっぽいバイク屋を見かけるわけである。上野のバイク街もその中心的店舗だった光輪モータースが突然夜逃げ的に閉店してしまったのが2008年で、それから今になってもこんな感じなのだから、今後もこのまま盛り下がりっぱなしなんでしょうな。

バイク屋が立ち並ぶ一方で、お寺の山門がそびえているのもちょくちょく目にする下寺町。上本町界隈から下寺町までは大阪市内屈指の寺町が形成されている、その名残りである。そもそも江戸時代、大坂の陣の後に松平忠明によって大阪城の南側の防御線として寺町を形成させたのが由来らしい。

ところでこの西念寺というお寺、貼り付けられている文言が難解過ぎて、我々取材班には意味がさっぱりわかりません。“いつも変わらない「私」が不自然”だそうです。

下寺町バイク通りにビル型納骨堂で大繁盛!名物女社長の「梅旧院光明殿」

さてさて、そんな衰退産業の二輪車小売業者密集地である下寺町に「これからはバイクの時代やおまへんで、バイキューインの時代でっせ」とばかりに乗り込んでは派手派手しいビル型納骨堂を構え、新時代型ご先祖参りのスタイルを大阪の地に根付かせた「梅旧院光明殿」の建物がそびえている。

9階建てのビル内には3000基以上もの屋内墓を構え、冷暖房完備、バリアフリーの館内で年中365日お参り頂けます、との触れ込みで、宗派を問わず永代供養を行っているというのがこの梅旧院光明殿なのだが、1995年に建てられたというので、既に四半世紀近い。

ビル型納骨堂ならではの利便性や平均50万円程度の割安な費用(納骨壇の購入費用のみで永代供養料、管理費は不要)が今の時代のニーズに合っていたのだろうが、ここは特に“大阪のおばはん”を全身で体現したかのような和服姿でド金髪、分厚いメイクのドギツイ格好で登場する名物女社長の「来て見て便利な梅旧院」のフレーズでお馴染みの関西ローカルテレビCMで一気に知名度を上げたようだ。なんやねん「つうつうさんのお寺」って…

しかしそんな女社長が2017年10月に「脱税で逮捕」されるという報道を発端に女社長の元夫である暴力団組長を通して納骨堂の資金が流用されていたなど相次ぐ醜聞が世間に広まった。女社長が住む芦屋の豪邸までテレビで流されてた覚えがありましたが、まあなんという典型的なコテコテ関西セレブっぷり。

そんな梅旧院光明殿がある松屋町筋から東側、上町台地にかかる天王寺七坂の一つ「口縄坂」の石段を登っていくと夕陽丘町の寺町がありましてですね、戦前期に活躍した現在の天王寺区出身の作家・織田作之助の文学碑なんぞが置かれていて、同じ大阪でも珍しく品がある街並みに変わるのですが…

そこには納骨堂の元となった梅旧院の本院の山門がデデーンと鎮座しているのである。曹洞宗の寺院で延喜年間(西暦900年頃)に創建され、大宰府に左遷された菅原道真公が母との最後の別れを惜しんだ場所だとか色々と謂れがある古刹でもある。

先のビル型納骨堂は1995年、この梅旧院の分院として出来たのだが、数年後にその運営で寺の宗教法人の資金繰りが悪化したことから名物女社長から救いの手が差し伸べられ、その後の2002年に運営会社の社長に就任した、という経緯らしい。いくら真っ黒な事情が世間に晒されたとしても、キャッチーなCMで知名度を上げて潰れそうになっていた納骨堂の運営を立て直して実際に繁盛してきたんだから、大阪の商売人としては“やり手”でしょうよ。

その梅旧院本院のすぐ近くには「株式会社光明殿」のプレートが掲げられた、パッと見はヤーさんの事務所かいなと思えるような佇まいの、小綺麗なエントランスを構える建物があり、その軒先にベンツのオープンカーがこれ見よがしに停められていた。どうやらここがビル型納骨堂の運営会社のオフィスのようである。

結局女社長の逮捕によって納骨堂自体が閉鎖されることはなく今も営業は続いているそうだが、件の女社長に対しては今年3月に執行猶予付きの有罪判決が下っている。 でもまあこの案件も、なんとも大阪っぽいオチですよね…


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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